言志四録 / 言志晩録 第二百五十八条 一日を慎む
送昨日。迎今日。送今日。迎明日。人生百年。不過如此。故宜愼一日。一日不愼。遺醜於身後。可恨。羅山先生謂。暮年宜謀一日事。余謂此言似淺非淺。
新字:送昨日。迎今日。送今日。迎明日。人生百年。不過如此。故宜慎一日。一日不慎。遺醜於身後。可恨。羅山先生謂。暮年宜謀一日事。余謂此言似浅非浅。
書き下し
昨日を送りて今日を迎へ、今日を送りて明日を迎ふ。人生百年、此くの如きに過ぎず。故に宜しく一日を慎むべし。一日慎まざれば、醜を身後に遺す。恨むべし。羅山先生謂ふ、「暮年は宜しく一日の事を謀るべし」と。余謂ふ、此の言浅きに似て浅きに非ず。
現代語訳
昨日を送って今日を迎え、今日を送って明日を迎える。人生百年といっても、このくり返しにすぎない。だから一日一日を慎むべきである。一日でも慎まなければ、死後にまで恥を残すことになる。残念なことである。林羅山先生(江戸初期の儒者、林家の祖)は「晩年には一日の事を計画すべきである」と言われた。私はこの言葉を、浅いように見えて実は浅くないと思う。
解説
人生百年も、つまるところ一日を送り一日を迎えることの積み重ねにすぎない。だから一日を慎め、と一斎は言います。晩年であればなおさら、ある一日の過ちがそのまま生涯の汚点として死後に残りかねません。引かれる林羅山は、一斎が仕えた林家の祖で、幕府の儒学の礎を築いた人物です。「暮年は一日の事を謀るべし」という言葉は、老いては長い計画より今日一日を大切にせよという平凡な教えに見えますが、一斎はそこに深い意味を見ています。先の長さがわからないからこそ、今日という単位で身を整える。長期目標に目を奪われがちなときに、今日一日の仕事の仕方を点検する視点を与えてくれる一条です。
この章句が説くこと
一日慎み晩年時間身後の名
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