洗心洞箚記 / 卷上・第七十一條
實知不義、然後知其富貴如浮雲也、否則安得知之哉、而是知便良知、而非聞見之知也、然學者推廣聞見之知、欲其如浮雲與聖人一般、譬如眇而見千里外、蹇而登高山頂、其亦難矣哉、
新字:実知不義、然後知其富貴如浮雲也、否則安得知之哉、而是知便良知、而非聞見之知也、然学者推広聞見之知、欲其如浮雲与聖人一般、譬如眇而見千里外、蹇而登高山頂、其亦難矣哉、
書き下し
実に不義を知りて、然る後に其の富貴の浮雲の如きを知るなり。否ずんば安んぞ之を知るを得んや。而して是の知は便ち良知にして、聞見の知に非ざるなり。然るに学者聞見の知を推し広めて、其の浮雲の如きこと聖人と一般ならんと欲す。譬へば眇にして千里の外を見、蹇にして高山の頂に登るが如し。其れ亦難きかな。
現代語訳
本当に不義というものを知って、はじめて(不義による)富貴が浮雲のようなものだと知る。そうでなければ、どうしてそれを知ることができようか。そしてこの知こそ良知であって、見聞による知ではない。ところが学ぶ者は見聞の知を押し広めて、富貴を浮雲のように見ることを聖人(孔子)と同じにしようとする。たとえば片目の見えない者が千里の外を見ようとし、足の不自由な者が高山の頂に登ろうとするようなものだ。それはなんと難しいことか。
解説
『論語』述而篇の「不義にして富み且つ貴きは、我に於て浮雲の如し」を引き、富貴を浮雲と見られるのは不義を心底から知る良知があってこそだと言う。本や話で覚えた聞見の知をいくら広げても、孔子のような淡泊さには届かない。陽明学は、知識としての知と、身に響く良知とを鋭く分ける。現代でも、倫理研修で規程を覚えても、不正の誘惑の前で踏みとどまれるとは限らない。不正を本当に恥ずかしいと感じる心を育てることが、規則を増やすよりも根本である。
この章句が説くこと
良知義富貴聞見論語陽明学
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