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洗心洞箚記 / 卷上・第六十八條

問歸乎太虛而後爲仁義云、則未歸乎太虛者、不爲仁義而可耶、曰、未歸乎太虛者、不自欺、自謙、誠意之功夫、徹動徹靜、徹晝徹夜、終始一焉、便是爲仁義之道、而歸乎太虛之竅也、故雖未歸乎太虛者、仁義何可不爲也哉、

新字:問帰乎太虚而後為仁義云、則未帰乎太虚者、不為仁義而可耶、曰、未帰乎太虚者、不自欺、自謙、誠意之功夫、徹動徹静、徹昼徹夜、終始一焉、便是為仁義之道、而帰乎太虚之竅也、故雖未帰乎太虚者、仁義何可不為也哉、

書き下し

問ふ、太虚に帰して而る後に仁義を為すと云へば、則ち未だ太虚に帰せざる者は、仁義を為さずして可なるか。曰く、未だ太虚に帰せざる者は、自ら欺かず、自ら慊くする、誠意の功夫、動に徹し静に徹し、昼に徹し夜に徹し、終始一なり。便ち是れ仁義を為すの道にして、太虚に帰するの竅なり。故に未だ太虚に帰せざる者と雖も、仁義何ぞ為さざるべけんや。

現代語訳

ある人が問うた。「太虚に帰ってこそ仁義を行えると言うなら、まだ太虚に帰っていない者は仁義を行わなくてもよいのか。」答えて言う。「まだ太虚に帰っていない者は、自分を欺かず、自分の心に満ち足りるようにする誠意の工夫を、動いているときも静かなときも、昼も夜も貫いて、始めから終わりまで一つにする。それがそのまま仁義を行う道であり、太虚に帰る急所なのである。だから、まだ太虚に帰っていない者であっても、どうして仁義を行わずにいてよいことがあろうか。」

解説

前条で私心のある仁義を戒めたことへの問答である。まだ境地に至らない者は仁義を控えるべきか、という問いに対し、中斎は『大学』の誠意、すなわち自ら欺かず自ら慊くする工夫を昼夜動静に貫くことが、そのまま仁義の実践であり太虚へ帰る入口だと答える。悟ってから行うのではなく、行いの中で心を正していくという、知行合一の陽明学の立場がよく出ている。完璧な動機を待って動かないより、自分を偽らないことを守りながら行うことが、人を育て仕事を磨く道である。

この章句が説くこと

太虚誠意仁義知行合一大学修己

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