都鄙問答 / 卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段
答、學問ノ至極トイフハ、心ヲ盡シ性ヲ知リ、性ヲ知レバ天ヲ知ル、天ヲ知レバ、天卽孔孟ノ心ナリ、孔孟ノ心ヲ知レバ、宋儒ノ心モ一ナリ、一ナルユヘニ註モ自合フ、心ヲ知ルトキハ、天理ハ其中ニ備ル、其命ニ違ザル樣ニ行フ外、他事ナカルベシ、
新字:答、学問ノ至極トイフハ、心ヲ尽シ性ヲ知リ、性ヲ知レバ天ヲ知ル、天ヲ知レバ、天即孔孟ノ心ナリ、孔孟ノ心ヲ知レバ、宋儒ノ心モ一ナリ、一ナルユヘニ註モ自合フ、心ヲ知ルトキハ、天理ハ其中ニ備ル、其命ニ違ザル様ニ行フ外、他事ナカルベシ、
書き下し
答ふ、学問の至極といふは、心を尽くし性を知り、性を知れば天を知る。天を知れば、天即ち孔孟の心なり。孔孟の心を知れば、宋儒の心も一なり。一なるゆゑに註も自ら合ふ。心を知るときは、天理は其の中に備はる。其の命に違はざる様に行ふ外、他事なかるべし。
現代語訳
梅岩は答えました。「学問の到達点とは、心を尽くして性を知ることです。性を知れば天を知る。天を知れば、天とはそのまま孔子・孟子の心です。孔孟の心がわかれば、宋の儒者の心も同じ一つのものです。一つだから、注釈もおのずと合ってくる。心を知れば、天の理はその中に備わっています。あとはその命に背かないように行うだけで、ほかにすることはありません。」
解説
梅岩の学問の骨格を一息で述べた答えです。下敷きは孟子尽心上の「其の心を尽くす者は其の性を知る。其の性を知れば則ち天を知る」。孔孟と宋儒を対立させる問いに対し、どちらも同じ天を知った人の心だから一つだ、と論点そのものを外しています。注釈の正否より先に、自分の心で天理を知ることを置くのが石門心学の出発点です。知ったあとは「命に違わぬように行う」だけだと言い切り、知ることと行うことを分けていない点も押さえておきたいところです。
この章句が説くこと
心性天天理孟子
関連する章句
-
『呻吟語』外篇・天地・心は就ち是れ天なり心は就ち是れ天なり。心を欺くは便ち是れ天を欺くなり。心に事ふるは便ち是れ天に事ふるなり。更に須らく蒼蒼の上面に向かひて討むべからず。
-
『幽夢影』巻上・春は天の本懷春は天の本懷、秋は天の別調なり。
-
『正法眼蔵随聞記』巻一示して云く、人は思ひ切て命をも棄て、身肉手足をも截ことは中々せくるゝなり、然あれば世間の事を思ふに、名利執心の為にも多くかくの如く思ひ切るなり、只依り来る時に、事に触れ物に随て、心品を調ふること難きなり、学者身命を捨ると思ふて、且くおしゝづめて、云ふべきことをも、修すべきことをも、道理に順ずるか順せざるかと案じて、道理に順せば云ひ、若くは行じもすべきなり、
-
『呻吟語』内篇・修身・心を大にし虛にし平にし潛め定む其の心を大にして天下の物を容れ、其の心を虛にして天下の善を受け、其の心を平にして天下の事を論じ、其の心を潛めて天下の理を觀、其の心を定めて天下の變に應ず。
-
『呻吟語』内篇・存心・心は天平のごとくならんことを要す心は天平のごとくならんことを要す。物を稱る時、物は忙しくして衡は忙しからず。物去る時、即ち懸空して此に在り。只だ恁く靜虛中正なれば、何等ぞ自在ならん。
-
『呻吟語』内篇・修身・心に城池有り、口に門戶有り心は城池有るを要し、口は門戶有るを要す。城池有れば則ち出でず、門戶有れば則ち縱にせず。