洗心洞箚記 / 卷上・第六十六條
聖賢名譽之傳於萬世而不朽者、此非名譽之傳於萬世而不朽也、其自初至終、所實踐仁義禮智之德、與天之春夏秋冬只一箇、故其人雖死、其靈駕於春夏秋冬之氣、徧布充滿乎天地間、而人不能設、以是傳於萬世而不朽也、假善僞行、而焉至於此哉、
新字:聖賢名誉之伝於万世而不朽者、此非名誉之伝於万世而不朽也、其自初至終、所実践仁義礼智之徳、与天之春夏秋冬只一箇、故其人雖死、其霊駕於春夏秋冬之気、遍布充満乎天地間、而人不能設、以是伝於万世而不朽也、仮善偽行、而焉至於此哉、
書き下し
聖賢の名誉の万世に伝はりて朽ちざる者は、此れ名誉の万世に伝はりて朽ちざるに非ざるなり。其の初めより終りに至るまで、実践する所の仁義礼智の徳、天の春夏秋冬と只だ一箇なり。故に其の人死すと雖も、其の霊は春夏秋冬の気に駕し、徧く天地の間に布き充満して、人設くること能はず。是を以て万世に伝はりて朽ちざるなり。善を仮り行を偽りて、焉んぞ此に至らんや。
現代語訳
聖賢の名声が万世に伝わって朽ちないのは、実は名声そのものが伝わって朽ちないのではない。その人が初めから終わりまで実践した仁義礼智の徳が、天の春夏秋冬の運行とただ一つのものだったからである。だからその人が死んでも、その霊は春夏秋冬の気に乗って天地の間にくまなく行きわたり満ちており、人がこしらえて設けられるようなものではない。それゆえに万世に伝わって朽ちないのである。善を装い行いを偽る者が、どうしてここまで至れようか。
解説
名が後世に残るのは評判の力ではなく、生涯の実践が天の四季の運行と一つになっていたからだ、と中斎は言う。仁義礼智を春夏秋冬に配するのは宋学以来の見方で、徳が天地の気と一体になれば死後もその気に乗って満ちわたると説く。天保四年に成った本書の、天人一体の考え方がよく出た条である。現代でも、名を残そうとして飾った仕事は残らず、日々の誠実な実践の積み重ねだけが、人が去ったあとも組織や周囲に生き続ける。評判を追う前に、毎日の行いを問いたい。
この章句が説くこと
仁義徳天名誉実践大塩中斎
関連する章句
-
『洗心洞箚記』卷上・第百七條水は孰か之をして流れしむるや。石は孰か之をして堅からしむるや。山は孰か之をして峙たしむるや。海は孰か之をして潮せしむるや。雲雨は孰か之をして翕張せしむるや。日月は孰か之をして往来せしむるや。視れども見えず、聴けども聞えず、一言以て之を蔽へば、太虚の徳なり。善は孰か之をして息せしむるや。悪は孰か之をして消せしむるや。忠は孰か之をして勧ましむるや。邪は孰か之をして懲らさしむるや。父子は孰か之をして親愛せしむるや。上下は孰か之をして泰和せしむるや。此れも亦太虚の徳の致す所か。嗟夫、吾其の何如なるを知らざるなり。
-
『弁名』德朱子解して曰く、「徳の言為る得なり。道を行ひて心に得る有るなり」と。夫れ道は先王の道なり。伝に曰く、「苟も其の人に非ざれば、道虚しく行はれず」と。則ち其の徳未だ成らずして、安んぞ能く道を行はんや。是れ其の意道を以て当然の理と為す。故に是の解有るのみ。且つ徳は固より心を離れて言ふべからず。然れども僅かに心を以て之を言はば、烏んぞ以て徳と為すに足らんや。
-
『徂徠先生答問書』卷中一しか〳〵の儀被仰聞候趣尤には候へ共、余り御仰天過候と存候。只今迄の政務天心に応じ不申候はゞ、御仰天被成候とも天罰は御遁れ有間敷候。天を御敬候て過を改め徳を脩るにしくは無御座候。聖人の教の外に別に祈祷の法は有間敷候。左候はゞ天心は返り不申候。返り不申候共天命は遁るゝ所無御座候。仰天は無益に候。妖不勝徳といひ、また妖由人興と相見え候。人心の騷動より妖怪はおこると申事に候。大将の心騷動候はゞ、下の騷動は止申間敷候。不知命無以為君子と孔子も被仰候。天命を不存候へば覚悟はすはり不申候。任下問不顧慮外申進候。頓首。
-
『弁名』德郷飲酒の義に曰く、「徳なる者は身に得るなり」と。朱子の意に謂へらく、心と言はずして身と言ふは、猶ほ浅しと。古言の失を知らざるのみ。古は身心を以て対言する者無し。凡そ身と言ふ者は、皆己を謂ふなり。己豈に心を外にせんや。孟子曰く、「其の色に生ずるや睟然として、面に見はれ、背に盎れ、四体に施し、四体言はずして喩る」と。是れ徳を状するの言なり。豈に徒に心に得るの謂ならんや。夫れ徒に其の言を巧みにし其の色を令くするは、固より以て徳と為すべからず。然れども徒に心に得るも、其の失均し。且つ礼楽を以てせずして心を以てす、是れ之を不学無術と謂ふ。先王・孔子の人を教ふるの道に循ふを知らざるが故なり。
-
『講孟余話』盡心上 第二十四章「章を成す」とは、注に「積む所の者厚くして、文章外に見はるるなり」と云へり。積行累徳の験にして、面背に盎見し、四体に施す所なり。「達す」とは、注に「此に足りて彼に通ずるなり」と云へり。積行累徳、人に感孚することなり。臣の忠足りて君に通じ、君是れを信じ、上の仁足りて下に通じ、下忠に興り、子の孝足りて父に通じ、父是れを慈しみ、父の慈足りて子に通じ、子孝に興るの類なり。若し夫れ忠足らず仁足らず、孝足らず慈足らずして一時の声聞あらば、必ず七八月の雨の如きなり。但し離婁の注に(第十八章)、「鄒氏曰く、孔子の水を称する、其の旨微なり。孟子独り此れを取るは、徐子の急なる所の者より之を言ふなり」。余論語子罕の篇を観るに、「子川の上に在りて曰く、逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かず」。按ずるに此の語固より先儒の言の如く、天地の化を以て道体を明かせしなれども、今是れを身に取りて行ふ所は、「君子之に法りて、自ら強めて息まず」と云ふに過ぎず。然れば其の昼夜を舎かず科に盈ちて後に進むに法とり、実行実徳を積み、声聞情に過ぐるを恥ぢ、章を成さずんば達せずと毫も異なることなし。俗儒書を読む、徒らに意を字句に留めて、身を以て其の地に体せず。故に是等の処に於て虚高無益の論をなすこと多し。察せざるべけんや。
-
礼記・哀公問公曰く、「寡人は憃愚(しょうぐ)なり、愚冥にして煩(わずら)う。子の心に志(し)る所なり」と。 孔子蹴然(しゅくぜん)として席を辟(さ)けて対えて曰く、「仁人は物に過ぎず、孝子は物に過ぎず。是の故に、仁人の親に事うるや天に事うるが如く、天に事うるや親に事うるが如し。是の故に孝子は身を成す」と。 公曰く、「寡人既にこの言を聞けり。後の罪を如何ともする無し」と。 孔子対えて曰く、「君のこの言に及ぶや、是れ臣の福なり」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る