講孟余話 / 盡心上 第二十四章
成章トハ注ニ所積者厚、而文章外見也、ト云ヘリ、積行累德ノ驗ニシテ面背ニ盎見シ、四体ニ施ス所ナリ、達トハ注ニ足於此而通於彼也、ト云ヘリ、積行累德人ニ感孚スルコト也、臣忠足リテ君ニ通シ、君是ヲ信シ、上仁足リテ下ニ通シ、下忠ニ興リ、子孝足リテ父ニ通シ、父是ヲ慈シ、父慈足リテ子ニ通シ、子孝ニ興ルノ類也、若夫忠足ラス仁足ラス、孝足ラス慈足ラスシテ一時ノ声聞アラハ、必ズ七八月ノ雨ノ如キナリ、但離婁ノ注ニ、第十八章鄒氏曰、孔子之称水、其旨微矣、孟子獨取此者、自徐子之所者言之也、余論語子罕ノ篇ヲ観ルニ、子在川上曰、逝者如斯夫、不舍晝夜、按スルニ此語固ヨリ先儒ノ言ノ如ク、天地ノ化ヲ以テ道体ヲ明セシナレトモ、今是ヲ身ニ取テ行フ所ハ、君子法之、自強不息、ト云ニ過キズ、然レハ其不舍晝夜盈科而後進ムニ法トリ、実行実德ヲ積ミ声聞情ニ過ルヲ耻チ、不成章不達ト毫モ異ナルコトナシ、俗儒書ヲ読ム、徒ニ意ヲ字句ニ畄テ、身ヲ以テ其地ニ体セス、故ニ是等ノ処ニ於テ虛高無益ノ論ヲナスコト多シ、察セサルヘケンヤ
新字:成章トハ注ニ所積者厚、而文章外見也、ト云ヘリ、積行累徳ノ験ニシテ面背ニ盎見シ、四体ニ施ス所ナリ、達トハ注ニ足於此而通於彼也、ト云ヘリ、積行累徳人ニ感孚スルコト也、臣忠足リテ君ニ通シ、君是ヲ信シ、上仁足リテ下ニ通シ、下忠ニ興リ、子孝足リテ父ニ通シ、父是ヲ慈シ、父慈足リテ子ニ通シ、子孝ニ興ルノ類也、若夫忠足ラス仁足ラス、孝足ラス慈足ラスシテ一時ノ声聞アラハ、必ズ七八月ノ雨ノ如キナリ、但離婁ノ注ニ、第十八章鄒氏曰、孔子之称水、其旨微矣、孟子独取此者、自徐子之所者言之也、余論語子罕ノ篇ヲ観ルニ、子在川上曰、逝者如斯夫、不舎昼夜、按スルニ此語固ヨリ先儒ノ言ノ如ク、天地ノ化ヲ以テ道体ヲ明セシナレトモ、今是ヲ身ニ取テ行フ所ハ、君子法之、自強不息、ト云ニ過キズ、然レハ其不舎昼夜盈科而後進ムニ法トリ、実行実徳ヲ積ミ声聞情ニ過ルヲ耻チ、不成章不達ト毫モ異ナルコトナシ、俗儒書ヲ読ム、徒ニ意ヲ字句ニ畄テ、身ヲ以テ其地ニ体セス、故ニ是等ノ処ニ於テ虚高無益ノ論ヲナスコト多シ、察セサルヘケンヤ
書き下し
「章を成す」とは、注に「積む所の者厚くして、文章外に見はるるなり」と云へり。積行累徳の験にして、面背に盎見し、四体に施す所なり。「達す」とは、注に「此に足りて彼に通ずるなり」と云へり。積行累徳、人に感孚することなり。臣の忠足りて君に通じ、君是れを信じ、上の仁足りて下に通じ、下忠に興り、子の孝足りて父に通じ、父是れを慈しみ、父の慈足りて子に通じ、子孝に興るの類なり。若し夫れ忠足らず仁足らず、孝足らず慈足らずして一時の声聞あらば、必ず七八月の雨の如きなり。但し離婁の注に(第十八章)、「鄒氏曰く、孔子の水を称する、其の旨微なり。孟子独り此れを取るは、徐子の急なる所の者より之を言ふなり」。余論語子罕の篇を観るに、「子川の上に在りて曰く、逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かず」。按ずるに此の語固より先儒の言の如く、天地の化を以て道体を明かせしなれども、今是れを身に取りて行ふ所は、「君子之に法りて、自ら強めて息まず」と云ふに過ぎず。然れば其の昼夜を舎かず科に盈ちて後に進むに法とり、実行実徳を積み、声聞情に過ぐるを恥ぢ、章を成さずんば達せずと毫も異なることなし。俗儒書を読む、徒らに意を字句に留めて、身を以て其の地に体せず。故に是等の処に於て虚高無益の論をなすこと多し。察せざるべけんや。
現代語訳
「形を成す」とは、朱子の注に「積んだものが厚くなって、その美しさが外に現れる」とある。行いを積み徳を重ねた証であって、顔や背中にあふれ出て、手足の振る舞いに表れるものである。「通じる」とは、注に「ここで満ち足りて、かしこに通じる」とある。行いを積み徳を重ねたことが、人を感動させ信じさせることである。臣の忠が満ちて主君に通じ、主君がそれを信じる。上の者の仁が満ちて下に通じ、下の者が忠に奮い立つ。子の孝が満ちて父に通じ、父がそれを慈しむ。父の慈愛が満ちて子に通じ、子が孝に奮い立つ。そういう類である。もし忠も仁も孝も慈愛も足りないのに、一時の評判があるならば、それは必ず七、八月の雨水のようなものだ。ただし離婁下篇第十八章の注に「鄒氏は言う。孔子が水をほめた趣旨は奥深い。孟子がこの点だけを取ったのは、徐子にとって切実なところから言ったのである」とある。私が論語の子罕篇を見ると、「先生は川のほとりで言われた。過ぎゆくものはこのようであろうか。昼も夜も休まない」とある。考えるに、この言葉はもとより先学が言うように、天地の移ろいによって道の本体を明らかにしたものだが、今これを自分の身に引き受けて行うところは、「君子はこれに倣って、自ら努めてやまない」ということにすぎない。だから、昼も夜も休まず、窪みを満たしてから進む水を手本とし、実際の行いと徳を積み、評判が実情を上回ることを恥じるのは、「形を成さなければ通じない」と少しも違わない。俗な儒者が書物を読むと、いたずらに字句にばかり心をとめて、自分の身をその場に置いて体得しようとしない。だからこうした箇所で、高尚めいて無益な議論をすることが多い。よく見分けなければならない。
解説
この章句が説くこと
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