洗心洞箚記 / 卷上・第六十七條
天如有心而運用春夏秋冬、則顛倒錯施、萬生却不得生育也、故人不歸乎太虛、而外行仁義則亦復然、其受害者不鮮矣、莊子非毀仁義、其所毀、在於有私心而行之者也、豈謂不可哉、
新字:天如有心而運用春夏秋冬、則顛倒錯施、万生却不得生育也、故人不帰乎太虚、而外行仁義則亦復然、其受害者不鮮矣、荘子非毀仁義、其所毀、在於有私心而行之者也、豈謂不可哉、
書き下し
天如し心有りて春夏秋冬を運用せば、則ち顛倒錯施して、万生却つて生育するを得ざるなり。故に人太虚に帰せずして、外に仁義を行へば則ち亦復た然り、其の害を受くる者鮮からず。荘子仁義を非毀す、其の毀る所は、私心有りて之を行ふ者に在るなり。豈に不可と謂はんや。
現代語訳
もし天に(人のような)はからいの心があって春夏秋冬を動かすとしたら、順序が転倒し施しが乱れて、万物はかえって生まれ育つことができない。だから人が太虚に帰らないまま、外側だけで仁義を行えば、やはり同じことになり、その害を受ける者は少なくない。荘子は仁義をそしったが、そのそしったところは、私心をもって仁義を行う者にあったのである。どうして仁義そのものをいけないと言ったことになろうか。
解説
天が無心だからこそ四季は誤りなく巡る。人も心を太虚、すなわち私意のない虚の状態に帰さずに仁義を振りかざせば、かえって人を害する、と中斎は言う。荘子の仁義批判も、私心で行う仁義に向けられたものと読み、仁義そのものの否定ではないとする。儒者でありながら老荘を敵視しない、中斎の陽明学らしい読み方である。組織でも、正しさを掲げた改革や善意の指導が、当人の功名心や支配欲を帯びると相手を傷つける。善を行う前に、自分の心の私を点検したい。
この章句が説くこと
太虚仁義私心無心荘子陽明学
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『洗心洞箚記』卷下・第百八條張子曰く、気は太虚に坱然として、升降飛揚し、未だ嘗て止息せず。易に所謂絪縕、荘生の所謂生物の息を以て相吹く野馬なる者なり。此れ虚実動静の機、陰陽剛柔の始めなり。浮かびて上る者は、陽の清なり、降りて下る者は、陰の濁なり。其の感遇聚散は、風雨と為り、霜雪と為る。万品の流形、山川の融結、糟粕煨燼も、教へに非ざる無きなり、と。謹んで案ずるに、此の章は太虚二気の変化を論じて、人に及ばざるなり。然れども人此の理を体すれば、則ち吾が方寸便ち是れ這の太虚にして、其の虚実動静、陰陽剛柔も、皆亦た此より活出す。其の天に在りての風雨は、吾に在りては則ち号令恩沢なり。天に在りての霜雪は、吾に在りては則ち已むを得ざるの刑戮なり。糟粕煨燼も教へに非ざる無ければ、則ち曲礼内則少儀の動作威儀も一として仁ならざる無し。故に張子礼を以て人を教ふるは、従りて来る所有り。仏老の空虚と異なる所は、全く此に在るなり。
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