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洗心洞箚記 / 卷上・第五十八條

吾旣辭職而甘隱、脫險而就安、宜高臥舍勞苦、以樂自性、然夙興夜寢、研經籍、授生徒者、何也、此不是好事、不是糊口、不爲詩文、不爲博識、又不欲大求聲譽、不欲再用於世、只拚得學而不厭誨人不倦之陳迹而已、世人莫怪、又莫罵、嗚呼、心歸乎太虛之願、則誰知之乎、我獨自知焉耳、

新字:吾既辞職而甘隠、脱険而就安、宜高臥舎労苦、以楽自性、然夙興夜寝、研経籍、授生徒者、何也、此不是好事、不是糊口、不為詩文、不為博識、又不欲大求声誉、不欲再用於世、只拚得学而不厭誨人不倦之陳迹而已、世人莫怪、又莫罵、嗚呼、心帰乎太虚之願、則誰知之乎、我独自知焉耳、

書き下し

吾既に職を辞して隠に甘んじ、険を脱して安に就く。宜しく高臥して労苦を舎て、以て自性を楽しむべし。然るに夙に興き夜に寝ね、経籍を研き、生徒に授くる者は、何ぞや。此れ事を好むにあらず、糊口にあらず、詩文の為にせず、博識の為にせず、又大いに声誉を求むるを欲せず、再び世に用ひらるるを欲せず。只だ学びて厭はず人に誨へて倦まざるの陳迹を拚得するのみ。世人怪しむ莫かれ、又罵る莫かれ。嗚呼、心太虚に帰するの願ひ、則ち誰か之を知らんや。我独り自ら知るのみ。

現代語訳

私はすでに職を辞して隠居に甘んじ、危うい場所を脱して安らかな身となった。高枕で寝て労苦を捨て、自分の性を楽しめばよいはずである。それなのに朝早く起き夜遅く寝て、経書を研究し、生徒に教えるのはなぜか。これは物好きでもなく、生計のためでもなく、詩文のためでもなく、博識のためでもなく、大いに名声を求めたいのでもなく、ふたたび世に用いられたいのでもない。ただ「学んで厭わず、人を教えて倦まず」(『論語』述而)という先人の跡を、身を投げうって追いたいだけである。世の人よ、怪しまないでほしい、また罵らないでほしい。ああ、心を太虚に帰したいという願いを、誰が知ろうか。私ひとりが自ら知るだけである。

解説

天保元年(1830)に与力を辞した後も、なぜ早朝から夜まで経書を研き門弟を教えるのかを自問する条である。好事でも生計でも名誉でも再仕官のためでもなく、ただ孔子の「学びて厭はず、人に誨へて倦まず」の跡を追いたいだけだと言う。心を太虚に帰すという願いは自分だけが知る、という結びに孤独と覚悟がにじむ。退職後や肩書きを失ったあとに何のために学び続けるのか、という問いは、人生の後半を生きる現代人にとっても身近な問いである。

この章句が説くこと

太虚学問教育隠退論語志

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