洗心洞箚記 / 卷上・第五十五條
不致良知、則仁決不熟也、心歸乎虛、自誠意愼獨入焉、而意誠則無有所忿懥恐懼好樂憂患、故心歸乎虛、一有所則非虛、不心歸乎太虛、而謂良知者、皆情識之知、而非眞良知也、眞良知者、非他、太虛之靈而已矣、非知道者、孰能悟之、
新字:不致良知、則仁決不熟也、心帰乎虚、自誠意慎独入焉、而意誠則無有所忿懥恐懼好楽憂患、故心帰乎虚、一有所則非虚、不心帰乎太虚、而謂良知者、皆情識之知、而非真良知也、真良知者、非他、太虚之霊而已矣、非知道者、孰能悟之、
書き下し
良知を致さずんば、則ち仁決して熟せざるなり。心の虚に帰するは、誠意慎独よりして入る。而して意誠なれば則ち忿懥恐懼好楽憂患する所有ること無し。故に心虚に帰す。一たび所有れば則ち虚に非ず。心太虚に帰せずして、良知と謂ふ者は、皆情識の知にして、真の良知に非ざるなり。真の良知とは、他に非ず、太虚の霊のみ。道を知る者に非ずんば、孰か能く之を悟らん。
現代語訳
良知を致さなければ、仁は決して熟さない。心が虚に帰るのは、誠意と慎独から入るのである。意が誠であれば、怒り・恐れ・好み楽しみ・憂いにとらわれることがない(『大学』)。だから心は虚に帰る。ひとつでもとらわれがあれば虚ではない。心が太虚に帰らないまま良知と言うものは、みな感情や分別による知であって、真の良知ではない。真の良知とは、ほかでもない、太虚の霊妙な働きだけである。道を知る者でなければ、誰がこれを悟れようか。
解説
短い三条を束ねた。第五十五条は致良知なしに仁は熟さないと言い、第五十六条は心が虚に帰るのは誠意と慎独から入り、『大学』正心章の忿懥・恐懼・好楽・憂患のとらわれが一つでもあれば虚ではないと説く。第五十七条は、太虚に帰らない心で語る良知は感情や分別の知にすぎず、真の良知は太虚の霊だと結ぶ。良心や直観と呼んでいるものが、実は怒りや不安や好き嫌いの混じった判断ではないかと疑う視点は、重要な決定の前に自分の心を点検するうえで役立つ。
この章句が説くこと
良知太虚誠意慎独仁致良知
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