洗心洞箚記 / 卷上・第四十九條
常人動作云爲、只苟而已矣、臨財苟得、臨難苟免、苟訾、苟笑、莫一不苟也、而常人有貌如君子遲重者、其於細故小變也、雖如不苟焉、臨利與害必露其態矣、是故君子敬以除其病、除其病、然後始免苟之輕浮歟、
新字:常人動作云為、只苟而已矣、臨財苟得、臨難苟免、苟訾、苟笑、莫一不苟也、而常人有貌如君子遅重者、其於細故小変也、雖如不苟焉、臨利与害必露其態矣、是故君子敬以除其病、除其病、然後始免苟之軽浮歟、
書き下し
常人の動作云為は、只だ苟のみ。財に臨みて苟も得、難に臨みて苟も免れ、苟も訾り、苟も笑ひ、一として苟ならざる莫し。而して常人に貌君子の如く遅重なる者有り。其の細故小変に於けるや、苟ならざるが如しと雖も、利と害とに臨めば必ず其の態を露はす。是の故に君子は敬以て其の病を除く。其の病を除きて、然る後に始めて苟の軽浮を免れんか。
現代語訳
普通の人の振る舞いや言動は、ただかりそめ(苟)であるだけだ。財に臨んではかりそめに得ようとし、難に臨んではかりそめに免れようとし(『礼記』曲礼)、かりそめにそしり、かりそめに笑い、一つとしてかりそめでないものはない。普通の人の中にも、外見は君子のように落ち着いて重々しい者がいる。小さな事や小さな変化に対しては、かりそめでないように見えても、利害に臨めば必ずその正体を現す。だから君子は敬によってその病を除く。その病を除いてこそ、初めてかりそめの軽薄さを免れるのであろうか。
解説
『礼記』曲礼の「財に臨みて苟も得る毋かれ、難に臨みて苟も免るる毋かれ」を踏まえ、常人の言動は得るのも逃げるのも謗るのも笑うのも、すべて苟すなわちその場しのぎだと言う。外見が重々しい人も、利害に直面すれば本性を現す。だから君子は敬、すなわち心を引き締めて慎む工夫でその病を除くのだという。落ち着いて見える人の真価は利害がからむ場面で試されるという観察は鋭い。交渉や危機の場面でこそ、その場しのぎでない判断ができるかを自分に問う条である。
この章句が説くこと
敬苟君子修己礼記誠
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