洗心洞箚記 / 卷上・第四十八條
吾以爲常人熟睡時反生、而明覺時反死矣、何者、熟睡時身雖如死、然心無一念矣、心無一念則心德全焉、吾故以爲反生、而明覺時身固生活、而心起雜念矣、心起雜念則心德亡焉、吾故以爲反死、因思人學而不到覺時如睡時無一念之地、則豈大學之定靜云乎哉、豈周子之無極而太極云乎哉、
新字:吾以為常人熟睡時反生、而明覚時反死矣、何者、熟睡時身雖如死、然心無一念矣、心無一念則心徳全焉、吾故以為反生、而明覚時身固生活、而心起雑念矣、心起雑念則心徳亡焉、吾故以為反死、因思人学而不到覚時如睡時無一念之地、則豈大学之定静云乎哉、豈周子之無極而太極云乎哉、
書き下し
吾以為へらく、常人は熟睡の時反つて生き、明覚の時反つて死す。何となれば、熟睡の時身は死するが如しと雖も、然も心に一念無し。心に一念無ければ則ち心徳全し。吾故に以て反つて生くと為す。而して明覚の時身は固より生活すれども、心に雑念起こる。心に雑念起これば則ち心徳亡ぶ。吾故に以て反つて死すと為す。因りて思ふに、人学びて覚時も睡時の如く一念無きの地に到らずんば、則ち豈に大学の定静と云はんや、豈に周子の無極にして太極と云はんや。
現代語訳
私が思うに、普通の人は熟睡しているときにかえって生きており、目覚めているときにかえって死んでいる。なぜか。熟睡しているとき、体は死んだようでも、心には一つの念もない。心に一念もなければ心の徳は全うされている。だから私はかえって生きているとするのである。目覚めているとき、体はもとより生きて動いているが、心には雑念が起こる。心に雑念が起これば心の徳は失われる。だから私はかえって死んでいるとするのである。そこで思う。人が学んで、目覚めているときも眠っているときのように一念もない境地に至らなければ、どうして『大学』の「定まり静か」と言えようか、どうして周子(周敦頤)の「無極にして太極」と言えようか。
解説
この章句が説くこと
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