洗心洞箚記 / 卷上・第四十七條
非積陽明先生所訓致良知之實功、則不可至於橫渠先生所謂太虛之地位、故欲心歸乎太虛者、宜致良知矣、不致良知而語太虛者、必陷於釋老之學、可不恐哉、
新字:非積陽明先生所訓致良知之実功、則不可至於横渠先生所謂太虚之地位、故欲心帰乎太虚者、宜致良知矣、不致良知而語太虚者、必陥於釈老之学、可不恐哉、
書き下し
陽明先生の訓ふる所の致良知の実功を積むに非ずんば、則ち横渠先生の所謂太虚の地位に至るべからず。故に心太虚に帰せんと欲する者は、宜しく良知を致すべし。良知を致さずして太虚を語る者は、必ず釈老の学に陥る。恐れざるべけんや。
現代語訳
陽明先生(王守仁)が教えた致良知の実際の工夫を積まなければ、横渠先生(張載)の言う太虚の境地に至ることはできない。だから心が太虚に帰ることを望む者は、良知を致さなければならない。良知を致さずに太虚を語る者は、必ず仏教や老荘の学に陥る。恐れずにいられようか。
解説
前条を承け、陽明の致良知の実功を積まなければ張載の言う太虚の地位には至れず、致良知を抜きに太虚を語れば必ず仏教や老荘の空虚に陥ると戒める。自述で門人が「太虚は釈老に似る」と懸念したことへの答えでもある。中斎の太虚は、日々の是非善悪の判断を誠実に積み重ねた先にある境地であって、現実から離れた悟りではない。高い理念や大きなビジョンも、日々の具体的な判断の積み重ねなしに語れば空論になるという戒めとして読める。
この章句が説くこと
太虚致良知良知張載釈老陽明学
関連する章句
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『洗心洞箚記』卷下・第十三條或ひと問ふ、陽明先生も亦明らかに太虚を言ふこと、有りや。曰く、有り。語録に曰く、聖人は只是れ他の良知の本色に還し、更に些子の意を著け在らず。良知の虚は、便ち是れ天の太虚、良知の無は、便ち是れ太虚の無形なり。日月風雷山川民物、凡そ貌象形色有るもの、皆太虚無形の中に在りて発用流行し、未だ嘗て天の障礙と作り得ず。聖人は只是れ其の良知の発用に順ひ、天地万物、倶に我が良知の発用流行の中に在り、何ぞ嘗て又一物の良知の外に超えて、能く障礙と作り得る有らんと。此れ豈に太虚を道ふに非ずや。吾が太虚の説も、皆亦此を祖述し来たる。而して張子の太虚も、復た之に異なること無きなり。人如し無欲ならば、則ち独自に了悟せん。否らずんば必ず老仏に類すと疑ふ有らん。辨ぜずして可なり。問ふ、書を読みて然る後に良知を致すか。曰く、否、書を読むは便ち是れ良知を致すなり。
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『洗心洞箚記』卷上・第四十六條或ひと曰く、子動もすれば心太虚に帰すを以て言を為す。張子の正蒙より来たるか。曰く、吾が太虚の説は、致良知より来たりて、正蒙より来たらず。然れども正蒙を逃るる能はず。学徒如し吾が正蒙を逃るる能はずと曰ふを信じて、只だ正蒙を読みて太虚の説を知らば、則ち亦特だ其の言語を解き得るのみにして、必ず太虚に帰する能はざるなり。故に致良知は、其の焉に臻るの道か。
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『洗心洞箚記』箚記跋(松浦誠之)故に吾曰く、仕路の民功、勇退の隠操、皆是れ学問の力に得る、と。且つ先生常に言ひて曰く、意見情識を掃ふの苦功を用ひずして、徒らに常凡の発見して意欲を攙ふる者を指して、漫りに良知を語る者は、蓋し泰州の王学にして、越中の王学に非ざるなり、と。故に先生の学は未発已前に慎独して、以て意見情識の良知を害する者を痛掃す。故に其の極は太虚に帰するに在り。夫れ太虚なれば則ち良知自然に明らかなり。此れ是れ妙処にして、言語見解の能く及ぶ所に非ざるなり。箚記は乃ち其の致仕の後に書く所にして、五倫五常より経済兵務文学技芸の緊要に迄るまで、尽く載せざる莫し。然れども皆之を太虚に括る。之を太虚に括りて五倫五常経済兵務文学技芸有ること此くの如し。則ち豈に仏ならんや、豈に老ならんや。
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『洗心洞箚記』卷下・第五十七條心太虚に帰して、然る後実理始めて存す。太虚に帰せざれば、則ち実理埋没し了りて、物と異ならず。夫れ人にして物と異ならざるは、恥づべきの甚しき者なり。世を挙げて之を恥ぢざれば、則ち其の霊将た何くにか在らん。
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『洗心洞箚記』卷上・第五十五條良知を致さずんば、則ち仁決して熟せざるなり。心の虚に帰するは、誠意慎独よりして入る。而して意誠なれば則ち忿懥恐懼好楽憂患する所有ること無し。故に心虚に帰す。一たび所有れば則ち虚に非ず。心太虚に帰せずして、良知と謂ふ者は、皆情識の知にして、真の良知に非ざるなり。真の良知とは、他に非ず、太虚の霊のみ。道を知る者に非ずんば、孰か能く之を悟らん。
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