洗心洞箚記 / 卷上・第三十七條
開眼俯仰天地以觀之、則壤石卽吾肉骨、草木卽吾毛髮、雨水川流、卽吾膏血精液、雲煙風籟卽吾呼吸吹噓、日月星辰之光、卽吾兩眼之光、春夏秋冬之運卽吾五常之運、而太虛卽吾心之蘊也、嗚呼、人七尺之軀、而與天地齊乃如此、三才之稱、豈徒然哉、宜變化氣質、以復太虛之體也、
新字:開眼俯仰天地以観之、則壤石即吾肉骨、草木即吾毛髪、雨水川流、即吾膏血精液、雲煙風籟即吾呼吸吹噓、日月星辰之光、即吾両眼之光、春夏秋冬之運即吾五常之運、而太虚即吾心之蘊也、嗚呼、人七尺之躯、而与天地斉乃如此、三才之称、豈徒然哉、宜変化気質、以復太虚之体也、
書き下し
眼を開きて天地を俯仰して以て之を観れば、則ち壌石は即ち吾が肉骨、草木は即ち吾が毛髪、雨水川流は、即ち吾が膏血精液、雲煙風籟は即ち吾が呼吸吹嘘、日月星辰の光は、即ち吾が両眼の光、春夏秋冬の運は即ち吾が五常の運にして、而して太虚は即ち吾が心の蘊なり。嗚呼、人は七尺の躯にして、天地と斉しきこと乃ち此の如し。三才の称、豈に徒然ならんや。宜しく気質を変化して、以て太虚の体に復るべきなり。
現代語訳
目を開いて天地を仰ぎ見下ろして観れば、土や石は私の肉と骨であり、草木は私の毛髪であり、雨水や川の流れは私の脂と血と精液であり、雲や煙や風の音は私の呼吸であり、日月星辰の光は私の両眼の光であり、春夏秋冬のめぐりは私の五常(仁義礼智信)のめぐりであり、そして太虚は私の心の奥に蔵するものである。ああ、人は七尺の体でありながら、天地とこのように等しい。天・地・人を三才と呼ぶのは、どうして無意味であろうか。気質を変化させて、太虚の本体に立ち返らなければならない。
解説
天地と人体を一つ一つ対応させ、土石は骨肉、草木は毛髪、川は血液、風雲は呼吸、日月は眼光、四季は五常、そして太虚は心の蘊だと述べる壮大な条である。人は七尺の身でありながら天地と等しいからこそ、天地人を三才と呼ぶのであり、だから気質を変化して太虚の体に復れと結ぶ。張載の『西銘』に通じる天地一体の感覚が、変化気質の勧めへとつながっている。自然や環境を外の資源ではなく自分の身体の延長と感じることは、持続可能性を考える現代の感覚とも響き合う。
この章句が説くこと
太虚気質天地三才心変化気質
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