洗心洞箚記 / 卷上・第三十五條
功名富貴、錦霞陷阱也、心虛則能見以避之、不虛則視而不見、踏而死者不少矣、嗚呼、虛哉虛哉、春夏秋冬、自太虛來、以終始萬物、而循環不息、毫無跡也、仁義禮智與此一般、故心虛則謂之天、非大言也、
新字:功名富貴、錦霞陥阱也、心虚則能見以避之、不虚則視而不見、踏而死者不少矣、嗚呼、虚哉虚哉、春夏秋冬、自太虚来、以終始万物、而循環不息、毫無跡也、仁義礼智与此一般、故心虚則謂之天、非大言也、
書き下し
功名富貴は、錦霞の陥穽なり。心虚なれば則ち能く見て以て之を避く。虚ならざれば則ち視れども見えず、踏みて死する者少なからず。嗚呼、虚なるかな虚なるかな。春夏秋冬は、太虚より来たり、以て万物を終始し、而して循環して息まず、毫も跡無きなり。仁義礼智も此と一般なり。故に心虚なれば則ち之を天と謂ふ。大言に非ざるなり。
現代語訳
功名や富貴は、錦や霞で覆われた落とし穴である。心が虚であれば、それを見て避けることができる。虚でなければ、見ていても見えず、踏み込んで死ぬ者が少なくない。ああ、虚であれ、虚であれ。春夏秋冬は太虚から来て、万物を始めから終わりまで成し遂げ、めぐって止まず、少しの跡も残さない。仁義礼智もこれと同じである。だから心が虚であれば、それを天と言う。大げさな言葉ではない。
解説
第三十五条は、功名富貴を錦の霞で覆った落とし穴にたとえ、心が虚なら見抜いて避けられるが、そうでなければ目の前にあっても見えず踏み込んで滅ぶと警告する。第三十六条は、四季が太虚から来て万物を育みながら跡を残さないように、仁義礼智も心が虚なら自然に行われ、その心は天と呼べると説く。地位や報酬に目がくらむと危険が見えなくなるという指摘は、不正や不祥事の多くが欲に曇った判断から始まることを思えば、今日の組織人にこそ切実である。
この章句が説くこと
太虚虚富貴天仁義修己
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