洗心洞箚記 / 卷上・第三十四條
拘而謂心在身內者、十目十指之義、一生不能了之、悟而識身在心內者、意欲機動時、非特十目十指焉、蓋以爲天下之所視指、何者、以身外之虛皆吾心、而萬物往來起伏之地故也、
新字:拘而謂心在身内者、十目十指之義、一生不能了之、悟而識身在心内者、意欲機動時、非特十目十指焉、蓋以為天下之所視指、何者、以身外之虚皆吾心、而万物往来起伏之地故也、
書き下し
拘りて心は身の内に在りと謂ふ者は、十目十指の義、一生之を了する能はず。悟りて身は心の内に在りと識る者は、意欲の機動く時、特に十目十指のみに非ず、蓋し以為へらく天下の視指す所なりと。何となれば、身外の虚は皆吾が心にして、万物往来起伏の地なるを以ての故なり。
現代語訳
とらわれて心は身の内にあると思う者は、「十の目が見、十の指が指さす」(『大学』)という意味を、一生理解できない。悟って身は心の内にあると知る者は、私意や欲の兆しが動くとき、十の目や十の指どころではなく、天下が見て指さしていると思う。なぜなら、身の外の虚はみな自分の心であり、万物が行き来し起き伏しする場所だからである。
解説
第六条の「身は心の内に在り」を承け、『大学』誠意章の「十目の視る所、十手の指す所」を読み解く。心を身体の中の小さなものと思う人には、この句の重さが一生分からない。身体の外の虚空まで自分の心だと悟った人は、欲が少し動いただけで天下中に見られているように感じるという。太虚と慎独とを結ぶ条である。誰も見ていない場面での小さなごまかしが、実は世界とつながった自分の心の中で起きているという感覚は、内部統制や倫理の根を個人の自覚に置く見方として示唆的である。
この章句が説くこと
慎独太虚心大学誠意修己
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