洗心洞箚記 / 卷上・第三十條
指仁曰、這裏具枝葉花實、則人必不信焉、指卵曰、這裏具羽冠嘴距、則人必不信焉、而又指大樹曰、是最初之仁精、透徹其本末而不遺者也、人亦疑焉、指老雞曰、是最初之卵精、融洽其首尾而不遺者也、人亦疑焉、以是可喩中人以下不可語上之旨也、
新字:指仁曰、這裏具枝葉花実、則人必不信焉、指卵曰、這裏具羽冠嘴距、則人必不信焉、而又指大樹曰、是最初之仁精、透徹其本末而不遺者也、人亦疑焉、指老鶏曰、是最初之卵精、融洽其首尾而不遺者也、人亦疑焉、以是可喩中人以下不可語上之旨也、
書き下し
仁を指して曰く、這裏に枝葉花実を具ふと。則ち人必ず信ぜず。卵を指して曰く、這裏に羽冠嘴距を具ふと。則ち人必ず信ぜず。而して又大樹を指して曰く、是れ最初の仁の精、其の本末に透徹して遺さざる者なりと。人も亦疑ふ。老雞を指して曰く、是れ最初の卵の精、其の首尾に融洽して遺さざる者なりと。人も亦疑ふ。是を以て中人以下は上を語るべからざるの旨を喩るべし。
現代語訳
果実の種(仁)を指して「この中に枝・葉・花・実がそなわっている」と言えば、人は必ず信じない。卵を指して「この中に羽・とさか・くちばし・けづめがそなわっている」と言えば、人は必ず信じない。また大樹を指して「これは最初の種の精が、根元から梢まで貫きとおって何も残さなかったものだ」と言っても、人はやはり疑う。老いた鶏を指して「これは最初の卵の精が、頭から尾までとけこんで何も残さなかったものだ」と言っても、人はやはり疑う。このことで、「中程度以下の人には上のことを語れない」(『論語』雍也)という趣旨がわかる。
解説
果実の種に枝葉花実が、卵に羽や嘴が備わっていると言っても人は信じず、逆に大樹や老鶏を指してこれは最初の種や卵の精が尽くされたものだと言っても疑う。この比喩で中斎は、『論語』雍也の「中人以下には以て上を語るべからず」の意味を説明する。本性の中にすべてが備わるという理は、言葉だけでは伝わらないということである。新人の中に将来の力が備わっていると信じることも、成長した人の中に最初の素質を見ることも難しい。教える側が伝え方を工夫する必要を示す条として読める。
この章句が説くこと
教育本性良知中人論語学問
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