洗心洞箚記 / 卷上・第二十七條
昔人有言、貨色功利之習、淪肌浹髓、此語警人尤深矣、味淪字浹字、稟生之時、旣淪浹了吾體、亦非外鑠者、故欲盡孝于父母者、非致良知以洗肌之淪髓之浹、則往往必貽父母之羞矣、雖貽父母之羞、則能養其口體服其勞、猶謂之不孝而可也、
新字:昔人有言、貨色功利之習、淪肌浹髄、此語警人尤深矣、味淪字浹字、稟生之時、既淪浹了吾体、亦非外鑠者、故欲尽孝于父母者、非致良知以洗肌之淪髄之浹、則往往必貽父母之羞矣、雖貽父母之羞、則能養其口体服其労、猶謂之不孝而可也、
書き下し
昔人言へること有り、貨色功利の習ひ、肌に淪み髄に浹ると。此の語人を警むること尤も深し。淪の字浹の字を味はへば、稟生の時、既に吾が体に淪浹し了る。亦外より鑠するに非ざる者なり。故に孝を父母に尽くさんと欲する者は、良知を致して以て肌の淪み髄の浹るを洗ふに非ずんば、則ち往往にして必ず父母の羞を貽さん。父母の羞を貽せば、則ち能く其の口体を養ひ其の労に服すと雖も、猶ほ之を不孝と謂ひて可なり。
現代語訳
昔の人が「財貨・色欲・功利の習いは、肌に染みこみ骨髄に浸みとおる」と言った。この言葉は人をとりわけ深く戒める。「淪(しみこむ)」「浹(ゆきわたる)」の字を味わえば、生まれつきの時からすでに自分の体に染みわたっていて、外から溶かしこまれたものでもない。だから父母に孝を尽くそうとする者は、良知を致して、肌に染みこみ骨髄に浸みとおったものを洗い流さなければ、しばしば必ず父母に恥をかかせることになる。父母に恥をかかせれば、たとえその口と体を養い、その労苦を代わって務めても、やはり不孝と言ってよい。
解説
財貨・色欲・功利の習いが肌と骨髄にまで染みているという古人の語を取り上げ、その欲は外から来たのではなく生まれつき身に浸みているのだと言う。だから良知を致してそれを洗い流さなければ、いくら親を養い苦労を引き受けても、結局は親に恥をかかせ不孝になる。洗心洞の「洗心」の名にも通じる自己浄化の思想である。売上や評価への欲が自分の奥深くに根を張っていることを自覚しないまま、家族や組織のためと言って働く危うさを考えさせる一条である。
この章句が説くこと
良知致良知孝功利洗心修己
関連する章句
-
論語・為政篇子游孝を問う。子曰く、「今の孝者は、是れ能く養うと謂う。犬馬に至るまで、皆能く養うこと有り。敬せずんば、何を以て別たんや。」
-
論語・為政篇子夏孝を問う。子曰く、「色難し。事有れば弟子其の労に服し、酒食有れば先生に饌(まかな)う。曾て是を以て孝と為さんや。」
-
論語・学而篇子曰く、「父在せば其の志を観、父没すれば其の行いを観る。三年父の道を改むること無くんば、孝と謂う可し。」
-
論語・為政篇孟懿子孝を問う。子曰く、「違(たが)うこと無かれ。」樊遅御(ぎょ)す。子之に告げて曰く、「孟孫我に孝を問う。我対えて曰く、違(たが)うこと無かれと。」樊遅が曰く、「何の謂(いい)ぞや。」子曰く、「生きては之に事(つか)うるに礼を以てし、死しては之を葬るに礼を以てし、之を祭るに礼を以てす。」
-
論語・為政篇孟武伯孝を問う。子曰く、「父母は唯其の疾(やまい)を之憂う。」
-
論語・里仁篇子曰く、三年父の道を改むること無きは、孝と謂う可し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る