洗心洞箚記 / 卷上・第二十六條
血氣隨死而腐壞散滅、如夫浩氣、不隨死而腐壞散滅、聖賢俊傑之道德功烈、赫然乎宇宙、經年益光輝焉、此何物、卽是浩然之氣也、於凡庸決無之、血肉漢不可不憤悱也、荏苒與歲俱逝、不遠虫蟻草木朽腐幾希、非大哀耶、非大恨耶、思之、勤一字、豈容忽乎哉、
新字:血気随死而腐壊散滅、如夫浩気、不随死而腐壊散滅、聖賢俊傑之道徳功烈、赫然乎宇宙、経年益光輝焉、此何物、即是浩然之気也、於凡庸決無之、血肉漢不可不憤悱也、荏苒与歳倶逝、不遠虫蟻草木朽腐幾希、非大哀耶、非大恨耶、思之、勤一字、豈容忽乎哉、
書き下し
血気は死に随ひて腐壊散滅す。夫の浩気の如きは、死に随ひて腐壊散滅せず。聖賢俊傑の道徳功烈、宇宙に赫然として、年を経て益々光輝あり。此れ何物ぞ、即ち是れ浩然の気なり。凡庸に於ては決して之無し。血肉漢憤悱せざるべからざるなり。荏苒として歳と俱に逝き、虫蟻草木の朽腐に遠からざること幾ど希なり。大哀に非ずや。大恨に非ずや。之を思へ。勤の一字、豈に忽にするを容れんや。
現代語訳
血気は死とともに腐り壊れ散り消える。あの浩然の気は、死とともに腐り壊れ散り消えることはない。聖賢や英傑の道徳と功業が宇宙に輝き、年を経るほどますます光を放つのは何によるのか。それがすなわち浩然の気である。凡庸な者には決してこれがない。血と肉だけの人間は、奮い立たずにいられようか。ずるずると歳月とともに過ぎ去り、虫や蟻や草木が朽ちるのとほとんど変わらない。大きな哀しみではないか、大きな恨みではないか。よく考えよ。勤の一字を、どうしてゆるがせにできようか。
解説
前条を承け、血気は死とともに消えるが、浩然の気は聖賢豪傑の道徳功業として宇宙に輝き、年を経てますます光を増すと説く。それを持たずに歳月を過ごせば虫や草木と同じく朽ちるだけだ、と強い言葉で奮起を促し、最後に「勤」の一字を掲げる。死後に残るものを問う点で「一死生」の思想とも響き合う。毎日の忙しさに流されて一年が過ぎるとき、自分が後に何を残すのかを問い、怠らず務めることの意味を改めて考えさせる条である。
この章句が説くこと
浩然の気勤生死聖賢気修己
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