洗心洞箚記 / 卷上・第二十四條
勇士養氣而不明理、儒者明理而不養氣、常人則亦不養氣亦不明理、榮辱禍福、惟是趨避而已矣、理氣合一、與天地同德、陰陽同功者、其惟聖賢乎、
新字:勇士養気而不明理、儒者明理而不養気、常人則亦不養気亦不明理、栄辱禍福、惟是趨避而已矣、理気合一、与天地同徳、陰陽同功者、其惟聖賢乎、
書き下し
勇士は気を養ひて理を明らかにせず。儒者は理を明らかにして気を養はず。常人は則ち亦気を養はず亦理を明らかにせず。栄辱禍福、惟だ是れ趨避するのみ。理気合一して、天地と徳を同じくし、陰陽と功を同じくする者は、其れ惟だ聖賢か。
現代語訳
勇士は気を養うが理を明らかにしない。儒者は理を明らかにするが気を養わない。普通の人は気も養わず理も明らかにしない。栄誉や恥辱、禍や福に対して、ただ近づいたり避けたりするだけである。理と気を一つに合わせ、天地と徳を同じくし、陰陽と働きを同じくする者は、ただ聖賢だけであろうか。
解説
勇士は気力を養っても道理に暗く、儒者は道理を明らかにしても気力が弱く、常人はどちらもなく栄辱禍福に右往左往するだけだという鋭い人間観である。理と気を一つに合わせて天地陰陽と働きを同じくするのが聖賢だとする。理気合一は中斎の重要な主張で、第五十三条の結びでもくり返される。理屈は立派だが動けない人、行動力はあるが筋が通らない人、どちらも組織にはいる。知識と気力の両方を一人の中で育てることが、本当に働ける人をつくるという示唆として読める。
この章句が説くこと
理気合一気理聖賢修己陽明学
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