洗心洞箚記 / 卷上・第二十五條
血氣之氣血盛則亦盛、血衰則亦衰、故不足恃、浩然之氣則不因血盛衰以爲盛衰、而常充塞身心、至死不衰不變、如曾子易簀子路結纓之類是也、自非積集義之功而慊于心者、不能得之、
新字:血気之気血盛則亦盛、血衰則亦衰、故不足恃、浩然之気則不因血盛衰以為盛衰、而常充塞身心、至死不衰不変、如曽子易簀子路結纓之類是也、自非積集義之功而慊于心者、不能得之、
書き下し
血気の気は血盛んなれば則ち亦盛んに、血衰ふれば則ち亦衰ふ。故に恃むに足らず。浩然の気は則ち血の盛衰に因りて以て盛衰を為さずして、常に身心に充塞し、死に至るまで衰へず変ぜず。曾子の易簀、子路の結纓の類の如き是れなり。集義の功を積みて心に慊き者に非ざるよりは、之を得る能はず。
現代語訳
血気の気は、血が盛んなら盛んになり、血が衰えれば衰える。だから頼るに足りない。浩然の気は、血の盛衰によって盛衰せず、常に身と心に満ちて、死に至るまで衰えず変わらない。曾子が臨終に(身分不相応の)敷物を取り替えさせたこと、子路が討たれる際に冠の紐を結び直したことなどがそれである。義を積み重ねる工夫をして、心に満ち足りる者でなければ、これを得ることはできない。
解説
若さや体力に伴う血気と、『孟子』公孫丑上の浩然の気とを区別する。血気は肉体とともに盛衰するが、浩然の気は死に至るまで衰えない。その例が、臨終に分不相応な敷物を替えさせた曾子の易簀(『礼記』檀弓)と、戦いで冠の纓を結び直して死んだ子路の結纓(『左伝』)である。浩然の気は義を積み重ね心に恥じないことからしか得られない。年齢とともに体力が衰えても、日々の誠実の積み重ねは衰えないという考えは、キャリアの後半をどう生きるかを考える支えになる。
この章句が説くこと
浩然の気気集義孟子曽子生死
関連する章句
-
『洗心洞箚記』卷上・第二十六條血気は死に随ひて腐壊散滅す。夫の浩気の如きは、死に随ひて腐壊散滅せず。聖賢俊傑の道徳功烈、宇宙に赫然として、年を経て益々光輝あり。此れ何物ぞ、即ち是れ浩然の気なり。凡庸に於ては決して之無し。血肉漢憤悱せざるべからざるなり。荏苒として歳と俱に逝き、虫蟻草木の朽腐に遠からざること幾ど希なり。大哀に非ずや。大恨に非ずや。之を思へ。勤の一字、豈に忽にするを容れんや。
-
『洗心洞箚記』卷下・第四十五條孟子の浩然の気、何れの処に於て之を認識せん。七篇の中、処処皆是なり。而して梁恵を見るの章の如きは尤も彰彰たり。其の千里にして梁恵を見る、亦労ならずや。而して其の吾が国を利せんの問に答ふるに、何ぞ必ずしも利を曰はん、亦仁義有るのみの一語を以てし、他の慾を遏(とど)め、吾が道を伸べ、其の身の用不用を顧みるを肯ぜず。便ち是れ至大至剛なり、便ち是れ浩然の気なり。又何ぞ之を認識するの難きこと之れ有らん。
-
『山鹿語類』士道・論養氣孟子我善養浩然之気と論ぜり。浩然の気と云ものは、孟子も難言と述べられたるが故に、今以て如此と云に処なし。唯心は気に因て或は動揺し、或は困苦するものなれば、此処を能く心得て、常に道義を以て是を養て、気の不饑が如くならしむるにありと可知。此の気を養ひ得るときは、至大至剛にして、能く万物の上に伸びて、物に屈する処あるべからざる也。心は気に因るがゆへに、気能静なる時は心則静也。気動ずるときは心こゝに動ず。是心気不両様を以て、更にへだゝる所なし。心は内にして、気は外に動ずるものなれば、先づ気を養ひ得るを修身存心の本とすべき也。
-
『弁名』理氣人欲浩然の気は、始めて孟子に見ゆ。其の所謂気は、天地の気に非ず、又た宋儒の所謂理気の気の若きに非ず、乃ち勇気の気なり。史伝の所謂気を使ふ、気を恃む、気を負ふと云ふ者の如きなり。本と大人に説くを主として之を言ふ。家語に曾子の行を載せて曰く、「大人を見ては浩浩たり」と。是れ其の祖述する所のみ。古の君子は礼楽以て其の徳を成し、自然に貧賤に隕穫せず、富貴に充詘せず。故に浩然の気を養ふを待たず。孟子の集義の生ずる所を観れば、則ち其の時礼楽既に壊る。故に浩然の気を養ふの説有るなり。孟子戦国の世に方りて、後車数十乗、従者数百人、諸侯に伝食し、臂を攘ひ胆を張り、以て百家と衡を争ふ。故に浩然の気も亦た其の自得する所の者を言ふ。乃ち孟子為る所以なり。学者諸を察せよ。
-
『講孟余話』告子上 第八章「平旦の気」、「夜気以て存するに足らず」。朱註に「孟子の夜気の説、学者に於て極めて力有り、宜しく熟玩して深く之を省みるべし」と云へり。余謂へらく、夜気の説は、即ち浩然の気(公孫丑上第二章、此の条と併せ考ふべし)を養ふの手を下す工夫なり。凡そ浩然の気を養はんとならば、先づ平旦の気の清明にして、未だ外物の欲を交へざる所を基本として、漸々長養すべし。何となれば、噪がしき時は気擾れて昏濁する故、静かにして清明なる所を養ふべしとなり。後儒の静坐等の工夫も、是等の処に原づき、外物に蔽はれざる所の本心を認め出し長養せんとなり。然れども余別に又一説あり。静処に於て本心を認むる、固より善し。又動処に於て本心を認むる、更に善し。或は書を読みて意中の人に遇ひ、意中の事を見るか、同志の人を会し、劇談豪論するか、或は風雪を冒し山野を跋渉するの類、都べて吾が心気力を発動せしめたる後は、必ず浩々勃々勇往鋭進の勢ひ禦ぐべからざる者あり。此の処より本心を認め、漸々長養するも、亦是れ一種の手段なり。実験して其の妙を悟るべし。
-
『洗心洞箚記』卷上・第百七十八條夫れ径ちに鹿と言ふ者は、固より黙する者の比に非ずと雖も、然れども特に一時慷慨の意気を発するのみ。何ぞ平生慎独して心を欺かざること聖人の如き真修実功有らんや。然らば則ち浩然の気、正大の心に非ざるなり。浩然の気、正大の心に非ずして、人を辱むるも猶禍を受く、況や宰臣の言を挫くをや。宜なるかな忠言発して、陰禍臻ること。故に誠に孝悌忠義を倉卒顛沛の間に尽くさんと欲する者は、居常戒慎恐懼して、理と気と合一を為さざるべからざるなり。理と気と合一を為さずして、適々一時一事に発すれば、則ち身を殺すと雖も君父国家に益無く、而して天の我に与ふるの良知良能、未だ尺寸の発露有らずして、身と澌滅せん。豈に惜しむべきに非ずや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る