洗心洞箚記 / 卷上・第二十條
心不歸乎太虛則必有物、有物而謂不動者、便是告子強制之道、而非孟子之所云也、孟子之不動、以卽太虛也、入火不熱、入水不濡、何況區區富貴貧賤而足動之乎、
新字:心不帰乎太虚則必有物、有物而謂不動者、便是告子強制之道、而非孟子之所云也、孟子之不動、以即太虚也、入火不熱、入水不濡、何況区区富貴貧賤而足動之乎、
書き下し
心太虚に帰せざれば則ち必ず物有り。物有りて動かずと謂ふ者は、便ち是れ告子の強制の道にして、孟子の云ふ所に非ざるなり。孟子の不動は、太虚に即するを以てなり。火に入りて熱からず、水に入りて濡れず。何ぞ況んや区区たる富貴貧賤の之を動かすに足らんや。
現代語訳
心が太虚に帰っていなければ、必ず何かの物(わだかまり)がある。物がありながら動じないと言うのは、告子の無理に抑えつける道であって、孟子の言うところではない。孟子の不動心は、太虚にそのまま即しているからである。火に入っても熱くなく、水に入っても濡れない(『荘子』)。まして取るに足りない富貴や貧賤が、どうしてこれを動かすことができようか。
解説
『孟子』公孫丑上で、孟子と告子はともに四十にして心を動かさなかったとされるが、両者の不動心は違う。中斎は、心にわだかまりを抱えたまま動かないと言うのは告子の強制にすぎず、孟子の不動心は心が太虚に即しているから自然に動かないのだと区別する。火にも水にも損なわれない比喩は『荘子』大宗師の真人の描写に拠る。感情を押し殺して平静を装うことと、心に執着がないから揺れないこととは違う。プレッシャーの中での落ち着きを、我慢ではなく心の空しさから得よという示唆である。
この章句が説くこと
太虚不動心孟子告子心修己
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