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洗心洞箚記 / 卷上・第十三條

熟睡夢中、雜亂穢濁、乃覺時作止語默自欺獨知之影焉耳、而到於誠不欺獨知之境則至人、故曰至人無夢、非無夢、無夫雜亂穢濁之夢也、如夢傳說夢周公、則非至人亦無此矣、

新字:熟睡夢中、雑乱穢濁、乃覚時作止語黙自欺独知之影焉耳、而到於誠不欺独知之境則至人、故曰至人無夢、非無夢、無夫雑乱穢濁之夢也、如夢伝説夢周公、則非至人亦無此矣、

書き下し

熟睡夢中の雑乱穢濁は、乃ち覚時の作止語黙の自ら独知を欺くの影のみ。而して誠に独知を欺かざるの境に到れば則ち至人なり。故に曰く、至人に夢無しと。夢無きに非ず、夫の雑乱穢濁の夢無きなり。傅説を夢み周公を夢むるが如きは、則ち至人に非ざれば亦此れ無し。

現代語訳

熟睡中の夢が雑然として汚れているのは、目覚めているときの立ち居振る舞いや語りや沈黙で、自分ひとりが知る心(独知)を欺いた影にすぎない。まことに独知を欺かない境地に至れば、それが至人である。だから「至人には夢がない」(『荘子』)と言う。夢がないのではない。あの雑然とした汚れた夢がないのである。(殷の高宗が)傅説を夢に見、(孔子が)周公を夢に見たような夢は、至人でなければ見ないものである。

解説

夢の乱れは、昼間に自分ひとりが知る心を欺いた影だという。『荘子』大宗師の「至人に夢無し」を、夢を見ないのではなく乱れた夢を見ないことだと読み替え、殷の高宗が傅説を、孔子が周公を夢見たような夢は至人だけが見るとする。独知とは他人に知られず自分だけが知る心の動きで、慎独の工夫の対象である。眠りの質や心のざわつきを、昼間の小さな自己欺瞞と結びつけて省みるという視点は、ストレスや後ろめたさを抱えた現代人にも響く。

この章句が説くこと

慎独独知誠夢至人荘子

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