洗心洞箚記 / 卷上・第十一條
救人厄難時、驗吾靈淵一波動否、一波纔動、則旣有情慾在焉、非天體也、非天體、則不如不救之爲愈、潤之以風雨、故品物資其潤澤而生長、然人撤壁去屋、露坐露寢、則必爲之所傷、而病不死者鮮、讀書亦然、書固入道之具也、然不知要而泛觀博覽、則德壞而惡殖、吁、亦敗己亂世、可不愼哉、
新字:救人厄難時、験吾霊淵一波動否、一波纔動、則既有情慾在焉、非天体也、非天体、則不如不救之為愈、潤之以風雨、故品物資其潤沢而生長、然人撤壁去屋、露坐露寝、則必為之所傷、而病不死者鮮、読書亦然、書固入道之具也、然不知要而泛観博覧、則徳壊而悪殖、吁、亦敗己乱世、可不慎哉、
書き下し
人の厄難を救ふ時、吾が霊淵の一波動くや否やを験す。一波纔かに動けば、則ち既に情慾焉に在り。天体に非ざるなり。天体に非ずんば、則ち救はざるの愈れりと為すに如かず。之を潤すに風雨を以てす。故に品物其の潤沢に資りて生長す。然れども人壁を撤し屋を去りて、露坐露寝せば、則ち必ず之が為に傷つけられて、病みて死せざる者鮮し。読書も亦然り。書は固より道に入るの具なり。然れども要を知らずして泛観博覧せば、則ち徳壊れて悪殖ゆ。吁、亦己を敗り世を乱す。慎まざるべけんや。
現代語訳
人の災難を救うとき、自分の心の淵に一つでも波が立つかどうかを確かめる。わずかでも波が動けば、すでに情欲がそこにある。天の本体ではない。天の本体でなければ、救わないほうがまさっている。風雨で潤すから、万物はその潤いによって成長する。しかし人が壁を取り払い屋根を除いて、野ざらしで座り寝れば、必ずそのために傷つき、病んで死なない者はまれである。読書もそうである。書物はもとより道に入る道具である。しかし要点を知らずに漫然と広く読みあされば、徳は壊れ悪がはびこる。ああ、それは自分を損ない世を乱すことにもなる。慎まなければならない。
解説
この章句が説くこと
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『都鄙問答』卷之一・都鄙問答ノ段多しと雖も亦奚を以て為さん、と。専対するは心なり。詩三百を誦するは文なり。和漢ともに小事を見て、大事を見る者少なし。陋しいかな文学に伐る。文芸も道の助けとなれば、舎つることにはあらず。愚、文学拙きを以て悔ゆといへども、民間に産まれ、家貧しくして学ぶべき暇なく、四十余の比より此の道に志す。如何して文学までに至るべき。只恥づべきは、何方へ一簡の饋るとも、文字に於いて誤ることぞ多かるべし。見る人これを用捨有らんことを願ふ。
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『都鄙問答』卷之一・都鄙問答ノ段答ふ、厚き志し過分の至りなり。先づ今日教へをなす志しを語らん。孟子曰く、人の道有るや、飽食煖衣、逸居して教へ無ければ、則ち禽獣に近し。聖人之を憂ふること有り、契をして司徒たらしめ、教ふるに人倫を以てす。父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り、と。此の五つの者を能くするを学問の功とす。これにて古人の学と云ふ者を知るべし。論語学而の篇にも、大抵皆本を務むることを多くせり。人倫の大原は天に出でて、仁義礼智の良心よりなす。孟子又曰く、学問の道は他無し、其の放心を求むるのみ、と。此の心を知りて後に、聖人の行ひを見て法を取るべし。君の道を尽くし玉ふは堯にあり、孝の道を尽くし玉ふは舜にあり、臣の道を尽くし玉ふは周公にあり、学問の道を尽くし玉ふは大聖孔子なり。此れ皆孟子の所謂性のままにして、上下天地と流れを同じくす。
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『洗心洞箚記』卷下・第百條小程子曰く、学なる者は、人をして内に求めしむるなり。内に求めずして外に求むるは、聖人の学に非ざるなり。何をか外と謂ふ、文を以て主と為す者、是れなり。学なる者は、人をして本に求めしむるなり。本に求めずして末に求むるは、聖人の学に非ざるなり。何をか末と謂ふ、詳略を考へ、同異を採る者、是れなり。是の二者は、皆身に益無し、君子は学ばず、と。程子の此等の説は、陽明先生の精一の学と異なること無し。学者宜しく心を平らかにして以て之を見るべきなり。
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『洗心洞箚記』卷下・第百三十二條陸子曰く、学者は須らく是れ田地を打畳して浄潔ならしめ、然る後に他をして奮発植立せしむべし。若し田地浄潔ならずんば、則ち奮発植立し得ず。古人の学を為すは即ち書を読む、然る後に学を為すこと見るべし。然れども田地浄潔ならずんば、亦書を読み得ず。若し書を読まば則ち是れ寇に兵を仮し、盗に糧を資するなり、と。又曰く、書を読むには固より文義を暁らざるべからず。然れども只だ文義を暁るを以て是と為さば、只だ是れ児童の学なり。須らく意旨の在る所を看るべし、と。
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『洗心洞箚記』卷上・第百十三條程朱没してより陽明先生に至るまで、其の間の学者は詞章文句の中に沈溺して、未だ嘗て能く頭を出さず、誠に憫むべし。先生起るに及びて、学者始めて天日を見るを得たり。故に顧端文公曰く、程朱没して記誦辞章の習熾んなり、天下をして自心自性の当に反りて求むべき有るを知らしむる所以の者は王文成なり、と。誠なるかな此の言や。
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『洗心洞箚記』卷下・第九十七條大程子曰く、心を尽くし性を知るは、知の至りなり。知の至れば、則ち心は即ち性、性は即ち天、天は即ち性、性は即ち心、天を生じ地を生じ万物を化育する所以なり。其の次は則ち心を存し性を養ひ、以て天に事ふ、と。謹んで按ずるに、程子の此の説は、蓋し孟子の尽心章を解するなり。夫れ心を尽くし性を知りて、天を生じ地を生じ万物を化育するに至るは、則ち聖人の事にして、決して学者分上の事に非ざること、断じて知るべし。然るに朱註は尽心の首章を以て下学に属す。故に陽明子顧東橋に答ふる書に、之を弁ずること周悉なり。固より朱註と牴牾し、朱註も又た程説と齟齬す。吾が輩は其の是非を臆断する能はずと雖も、然れども程説を以て主と為せば、則ち陽明子の説は即ち程説に本づきて、特だ敷衍するのみ、其の創説に非ざるなり。此等の処、学問の大緊要なり。故に吾が党の学人は、朱註の外に別に程説有ることを知らざるべからざるなり。故に程説を挙げて之を説くこと此くの如し。
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