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洗心洞箚記 / 卷上・第七條

顏子屢空、心屢歸乎太虛、而猶有一息、聖人則徹始徹終、一太虛而已矣、日用應酬之間、仁義禮智信、五者缺一焉、則非人言人行也、非人言人行、則宜乎、攻於人、又攻人、

新字:顔子屡空、心屡帰乎太虚、而猶有一息、聖人則徹始徹終、一太虚而已矣、日用応酬之間、仁義礼智信、五者欠一焉、則非人言人行也、非人言人行、則宜乎、攻於人、又攻人、

書き下し

顔子は屢々空し、心屢々太虚に帰す。而して猶ほ一息有り。聖人は則ち徹始徹終、一に太虚のみ。日用応酬の間、仁義礼智信、五つの者一を欠かば、則ち人言人行に非ざるなり。人言人行に非ずんば、則ち宜なるかな、人に攻められ、又人を攻むること。

現代語訳

顔子(顔回)は「しばしば空しい」(『論語』先進)。心がしばしば太虚に帰った。それでもなお一息の間断があった。聖人は始めから終わりまで、ひたすら太虚である。日々の応対のなかで、仁・義・礼・智・信の五つのうち一つでも欠ければ、人の言葉、人の行いではない。人の言葉、人の行いでなければ、人から責められ、また人を責めるのも当然である。

解説

顔回の「屢空」を、心がしばしば太虚に帰りながらもなお一息の途切れがある境地と読み、聖人は始終途切れなく太虚そのものだと区別する。続く第八条は、日常の応対で仁義礼智信の一つでも欠けば人の言行ではなく、責め合いが起こるのも当然だと言う。心の境地と日々の振る舞いを一続きに見る点が中斎らしい。職場の摩擦の多くは、相手への敬意や約束の誠実さといった基本の一つが欠けたところから始まると気づかせる条である。

この章句が説くこと

太虚顔回五常仁修己論語

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