孔子家語 / 顏回
顏回問:「朋友之際,如何?」孔子曰:「君子之於朋友也,心必有非焉而弗能謂『吾不知』,其仁人也。不忘久德,不思久怨;仁矣夫。」
新字:顔回問:「朋友之際,如何?」孔子曰:「君子之於朋友也,心必有非焉而弗能謂『吾不知』,其仁人也。不忘久徳,不思久怨;仁矣夫。」
書き下し
顏回問う、「朋友の際、如何。」孔子曰わく、「君子の朋友に於けるや、心必ず非とする有れども、『吾知らず』と謂う能わず、其れ仁人なり。久しき徳を忘れず、久しき怨みを思わず。仁なるかな。」
現代語訳
顔回が尋ねた。「友人との付き合いは、どのようにすればよいのでしょうか。」先生は言った。「君子が友人に対するとき、心の中では相手を良くないと思うことがあっても、それを『私は気づいていない』と偽ることはできない。それが仁の人というものだ。長く受けた恩は忘れず、長く抱いた怨みはいつまでも思い続けない。それが仁というものだ。」
解説
友人との付き合い方を尋ねた顔回に、孔子が二つの態度を示した問答です。一つは、相手の欠点に気づいたときにそれを見て見ぬふりで済ませず、誠実に向き合うこと。もう一つは、受けた恩義は長く忘れず、逆に受けた怨みはいつまでも引きずらないことです。友人関係において、相手のすべてを無条件に肯定するのではなく、率直さを保ちながらも、恩を忘れず怨みに執着しないという心のバランスが仁の具体的な現れとして描かれています。人との付き合いにおいて誠実さと寛容さを両立させることの難しさと大切さを説いており、長く続く人間関係を築くための実践的な指針として、現代にも通じる教えです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
顔回朋友仁恩と怨誠実さ
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論語・雍也篇子曰く、『回や、その心三月仁に違わず。其の余は則ち日月至るのみ。』
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『洗心洞箚記』卷上・第七條顔子は屢々空し、心屢々太虚に帰す。而して猶ほ一息有り。聖人は則ち徹始徹終、一に太虚のみ。日用応酬の間、仁義礼智信、五つの者一を欠かば、則ち人言人行に非ざるなり。人言人行に非ずんば、則ち宜なるかな、人に攻められ、又人を攻むること。
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『講孟余話』離婁下 第二十九章十一月十八日。「禹・稷・顔回道を同じうす」。禹稷顔回其の行ひ同じからずと雖も、其の道は則ち同じき所深く思ふべし。顔回は己を脩むるなり、禹稷は民を救ふなり、而して皆仁の道なり。仁者は己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。己を脩むるの心あり、故に民を救ふの心あり、是れ其の道同じき所なり。大賢以上皆然り。中人以下或は其の一偏を得るも、亦是れ一種の人物にして、凡庸人の比に非ず。伊尹の任、伯夷の清の如き、其の地然らしむと雖も、抑々亦性質好尚自ら同じからざる者あり。況んや中人以下に於てをや。然るに同道の本文に泥み、進退出処の際に当りて一概に拘泥する時は、却つて安排の失あり。大氏私心だに除き去る時は、進むも亦可なり、退くも亦可なり、出づるも亦可なり、処るも亦可なり。私心未だ除かざれば、進退出処亦皆不可なり。予性狂瞽、常に郷隣の間に被髪纓冠するの過ちあり。然れども利名を謀るに非ず、陋巷の箪瓢尤も其の安んずる所なり。因りて知る、禹稷の行ひある者は顔回の心なかるべからざることを。若し労を憚り身を顧み、禹稷の行ひをなさず、顔回の跡に託する者は、又豈に真の顔回ならんや。