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五常訓 / 巻之二・仁之上

一仁は人の性にして、人々に皆そなはれり。孔子、仁を行ふの道をば常に說き給ふといへど、其理のふかき事は、聞き得る人少なければ、稀に說き給へり。又一事の善も仁心より出づといへども、仁の全體は、至て大にして、少しもきずなきを以て名づくる理なれば、仁を以て人に許し給ふ事まれなり。顏子の亞聖も、三月仁にたがはずとのたまひ、三月の後は、仁あることをゆるし給はず。仲弓、子路、冉求、子貢、公西華などは、皆孔門の歴々の高弟なり。されど皆仁をばゆるし給はず。陳文子令尹子文は、其行高しといへども、夫子各其長ずる所をば許して、仁をゆるし給はず。是仁は至て精粹にして、廣大なる道理なればなり。李延平曰、當理而無私心則仁矣。

新字:一仁は人の性にして、人々に皆そなはれり。孔子、仁を行ふの道をば常に説き給ふといへど、其理のふかき事は、聞き得る人少なければ、稀に説き給へり。又一事の善も仁心より出づといへども、仁の全体は、至て大にして、少しもきずなきを以て名づくる理なれば、仁を以て人に許し給ふ事まれなり。顔子の亜聖も、三月仁にたがはずとのたまひ、三月の後は、仁あることをゆるし給はず。仲弓、子路、冉求、子貢、公西華などは、皆孔門の歴々の高弟なり。されど皆仁をばゆるし給はず。陳文子令尹子文は、其行高しといへども、夫子各其長ずる所をば許して、仁をゆるし給はず。是仁は至て精粋にして、広大なる道理なればなり。李延平曰、当理而無私心則仁矣。

書き下し

一仁は人の性にして、人々に皆そなはれり。孔子、仁を行ふの道をば常に説き給ふといへど、其理のふかき事は、聞き得る人少なければ、稀に説き給へり。又一事の善も仁心より出づといへども、仁の全体は、至て大にして、少しもきずなきを以て名づくる理なれば、仁を以て人に許し給ふ事まれなり。顔子の亜聖も、三月仁にたがはずとのたまひ、三月の後は、仁あることをゆるし給はず。仲弓、子路、冉求、子貢、公西華などは、皆孔門の歴々の高弟なり。されど皆仁をばゆるし給はず。陳文子令尹子文は、其行高しといへども、夫子各其長ずる所をば許して、仁をゆるし給はず。是仁は至て精粋にして、広大なる道理なればなり。李延平曰く、理に当りて私心無きは則ち仁なり。

現代語訳

仁は人の性であって、人々にみな備わっています。孔子は、仁を行う道はいつも説かれましたが、その理の深いことは、聞き得る人が少ないので、まれにしか説かれませんでした。また一つの事の善も仁の心から出るとはいえ、仁の全体はきわめて大きく、少しも傷がないことを名づける理であるから、仁をもって人に許されることはまれでした。亜聖といわれた顔子でさえ、三か月の間仁にたがわなかったとおっしゃり、三か月の後は仁があることをお許しになりませんでした。仲弓・子路・冉求・子貢・公西華などは、みな孔門の名だたる高弟です。けれどもみな仁はお許しになりませんでした。陳文子や令尹子文は、その行いは高かったけれども、先生はそれぞれその長所をお認めになって、仁はお許しになりませんでした。これは仁がきわめて純粋で、広大な道理だからです。李延平は「理にかなって私心のないのが仁である」といいました。

解説

孔子が仁を軽々しく人に許さなかった例を『論語』から集めています。顔回について「其の心三月仁に違はず」(雍也篇)、仲弓・子路・冉求・公西華らについて「其の仁を知らず」(公冶長篇)、陳文子と令尹子文についても忠や清は認めつつ仁とは言わなかった(公冶長篇)ことが背景です。李延平は朱子の師で、その「理に当たりて私心無きは則ち仁」という定義を紹介しています。高い理想を安易に認めない厳しさは、目標を低く設定しないことの大切さを教えます。

この章句が説くこと

仁孔子論語顔回李延平

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