洗心洞箚記 / 卷上・第六條
自形而言、則身裏心、心在身內焉、自道而觀、則心裏身、身在心內焉、其謂心在身內者、一遺操存之功、則物累我、其覺身在心內者、常得超脫之妙、而我役物、役物與累于物之別、學者宜知之、
新字:自形而言、則身裏心、心在身内焉、自道而観、則心裏身、身在心内焉、其謂心在身内者、一遺操存之功、則物累我、其覚身在心内者、常得超脱之妙、而我役物、役物与累于物之別、学者宜知之、
書き下し
形より言へば、則ち身は心を裹み、心は身の内に在り。道より観れば、則ち心は身を裹み、身は心の内に在り。其の心は身の内に在りと謂ふ者は、一たび操存の功を遺れば、則ち物我を累はす。其の身は心の内に在りと覚る者は、常に超脱の妙を得て、我物を役す。物を役すると物に累はさるるとの別、学者宜しく之を知るべし。
現代語訳
形の上から言えば、身が心を包み、心は身の内にある。道の上から観れば、心が身を包み、身は心の内にある。心は身の内にあると思う者は、ひとたび心を保つ工夫を忘れると、物が自分をわずらわせる。身は心の内にあると悟る者は、常に超え出た妙を得て、自分が物を使う。物を使うことと物にわずらわされることの違いを、学ぶ者は知らなければならない。
解説
形から見れば心は身体の中にあるが、道から見れば身体が心の中にある、という視点の転換を説く。心を身体の中の小さなものと思う人は、少し気を緩めると外物に振り回されるが、身体を包む大きな心を自覚する人は、物に使われず物を使えるという。太虚を心とみる中斎の考えを、操存すなわち心を保つ工夫と結びつけた条で、第三十四条でもくり返される。道具や情報や数字に振り回されるか、それらを使いこなすかの違いを、心の構え方の問題として捉え直す手がかりになる。
この章句が説くこと
心太虚操存修己超脱陽明学
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