中庸
子曰:「回之為人也,擇乎中庸,得一善,則拳拳服膺而弗失之矣。」
新字:子曰:「回之為人也,択乎中庸,得一善,則拳拳服膺而弗失之矣。」
書き下し
子曰く、「回(かい)の人と為(な)りや、中庸を択び、一善を得れば、則ち拳拳(けんけん)服膺(ふくよう)して之を失わず」と。
現代語訳
孔子は言われた。「顔回という人物は、中庸を選び取り、ひとつの善いことを得たならば、それを両手でしっかりと抱きかかえるようにして胸に収め、二度と手放すことがなかった」と。
解説
前段の「一か月も守れない」人々と対比される形で、愛弟子・顔回が理想例として挙げられます。顔回のすごさは、たくさんの善を知っていたことではありません。ひとつの善を得たら、それを胸に抱きしめて絶対に手放さなかった、その一点にあります。「拳拳服膺」という言葉が印象的で、大切なものを両手で包むように守り抜く姿が目に浮かびます。学びの質を決めるのは、どれだけ多くを知ったかではなく、得たひとつをどれだけ深く自分のものにしたかです。研修やセミナーで大量に学んでも、翌週には何も残っていないことがあります。むしろ、たったひとつを掴んで離さない人のほうが、確実に変わっていきます。
この章句が説くこと
顔回拳拳服膺一善を守る学びの深さ学び仁
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論語・雍也篇哀公問う、弟子孰か学を好むと為す。孔子対えて曰く、顔回という者あり、学を好む。怒りを遷さず、過ちを二たびせず。不幸短命にして死せり。今は則ち亡し、未だ学を好む者を聞かざるなり。
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論語・雍也篇子曰く、『回や、その心三月仁に違わず。其の余は則ち日月至るのみ。』
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孔子家語・顏回顏回問う、「朋友の際、如何。」孔子曰わく、「君子の朋友に於けるや、心必ず非とする有れども、『吾知らず』と謂う能わず、其れ仁人なり。久しき徳を忘れず、久しき怨みを思わず。仁なるかな。」
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孔子家語・七十二弟子解顏回は、魯の人、字は子淵、年二十九にして髪白く、三十一にして早死す。孔子曰わく、「吾に回有りてより、門人日々に益々親しむ」と。回の徳行著名にして、孔子其の仁を称す。
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『洗心洞箚記』卷上・第七條顔子は屢々空し、心屢々太虚に帰す。而して猶ほ一息有り。聖人は則ち徹始徹終、一に太虚のみ。日用応酬の間、仁義礼智信、五つの者一を欠かば、則ち人言人行に非ざるなり。人言人行に非ずんば、則ち宜なるかな、人に攻められ、又人を攻むること。
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『五常訓』巻之二・仁之上一仁は人の性にして、人々に皆そなはれり。孔子、仁を行ふの道をば常に説き給ふといへど、其理のふかき事は、聞き得る人少なければ、稀に説き給へり。又一事の善も仁心より出づといへども、仁の全体は、至て大にして、少しもきずなきを以て名づくる理なれば、仁を以て人に許し給ふ事まれなり。顔子の亜聖も、三月仁にたがはずとのたまひ、三月の後は、仁あることをゆるし給はず。仲弓、子路、冉求、子貢、公西華などは、皆孔門の歴々の高弟なり。されど皆仁をばゆるし給はず。陳文子令尹子文は、其行高しといへども、夫子各其長ずる所をば許して、仁をゆるし給はず。是仁は至て精粋にして、広大なる道理なればなり。李延平曰く、理に当りて私心無きは則ち仁なり。
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