洗心洞箚記 / 卷上・第一條
天不特在上蒼蒼太虛已也、雖石間虛、竹中虛、亦天也、況老子所云谷神乎、谷神者、人心也、故人心之妙與天同、於聖人可驗矣、常人則失虛、焉足語之哉、
新字:天不特在上蒼蒼太虚已也、雖石間虚、竹中虚、亦天也、況老子所云谷神乎、谷神者、人心也、故人心之妙与天同、於聖人可験矣、常人則失虚、焉足語之哉、
書き下し
天は特に上に在る蒼蒼たる太虚のみにあらざるなり。石間の虚、竹中の虚と雖も、亦天なり。況んや老子の云ふ所の谷神をや。谷神とは、人心なり。故に人心の妙は天と同じ。聖人に於て験すべし。常人は則ち虚を失ふ。焉ぞ之を語るに足らんや。
現代語訳
天は、頭上にある青々とした大空の虚だけではない。石の間の虚も、竹の中の虚も、また天である。まして老子が言う「谷神」はなおさらだ。谷神とは人の心である。だから人の心の霊妙さは天と同じである。それは聖人において確かめることができる。普通の人は虚を失っている。どうしてこれを語るに足りようか。
解説
巻上の第一条で、中斎の思想の根本である太虚を示す。天とは空の上の大空だけでなく、石の隙間や竹の節の中の空所もまた天であり、老子の「谷神」すなわち空しくして尽きない働きは人の心だという。心が虚であれば天と同じ霊妙さをもつが、常人は欲でそれを塞いでしまう。張載の太虚説と陽明の良知を結ぶ中斎の立場が、身近な比喩で語られている。忙しさや思い込みで心に余白がなくなると、新しい考えも他人の声も入ってこないという日常の経験に引き寄せて読める条である。
この章句が説くこと
太虚天心谷神老子陽明学
関連する章句
-
言志四録・言志晩録 第七条 吾が心の霊明は天なり人皆、仰ぎて蒼蒼たる者の天たり、俯して隤然たる者の地たるを知る。而るに吾が軀の皮毛骨骸の地たり、吾が心の霊明知覚の天たるを知らず。
-
言志四録・言志録 第百九十八条 吾が心は即ち天なり此の心霊昭不昧、衆理具はり、万事出づ。果たして何に従りて之を得たるか。吾が生の前、此の心何処にか放在せし。吾が歿の後、此の心何処にか帰宿せん。果たして生歿有りや、無きや。着想此に到れば、凛凛として自ら惕る。吾が心は即ち天なり。
-
『呻吟語』外篇・天地・心は就ち是れ天なり心は就ち是れ天なり。心を欺くは便ち是れ天を欺くなり。心に事ふるは便ち是れ天に事ふるなり。更に須らく蒼蒼の上面に向かひて討むべからず。
-
言志四録・言志録 第九十七条 心の来処は太虚目を挙ぐれば百物、皆来処有り。軀殻の父母より出づるも、亦来処なり。心に至りては則ち来処何くに在る。余曰く、軀殻は是れ地気の精英、父母に由りて之を聚む。心は則ち天なり。軀殻成りて天寓し、天寓して知覚生じ、天離れて知覚泯ぶ。心の来処は、乃ち太虚是れのみ。
-
『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段答ふ、学問の至極といふは、心を尽くし性を知り、性を知れば天を知る。天を知れば、天即ち孔孟の心なり。孔孟の心を知れば、宋儒の心も一なり。一なるゆゑに註も自ら合ふ。心を知るときは、天理は其の中に備はる。其の命に違はざる様に行ふ外、他事なかるべし。
-
『大和俗訓』巻之三・心術上一むかし二人同じ船にのりて行くに、一人は性急なり。日和あしく、舟のおそきを苦みて、昼夜心をなやまし、形かじけたり。一人は性おだやかなり。舟のおそきを苦まず、よく食し、やすくいねて、顔色うるはし。其所につきしかば、二人一時に陸にあがる。此間、船おそきとて心をくるしめし者、何の益あるや。唯みづから苦めるのみ。是心みじかき人のいましめとすべし。天下の事、我が力になしがたきことは、唯天に任せ置くべし。心をくるしむるは愚なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る