洗心洞箚記 / 箚記或問二條・第二
或問曰、看子箚記下卷終、則擧董子已下諸賢之說、或以按語、或以辨說、而世代敘次、源流傳來、如不紊者、然則庶乎安排布置、而似非箚記日錄之體何也、曰、吾嘗讀諸賢之書、則後先錯雜、彼此參伍、固不有一定、吾何不與人同也、然筆之、則董子而諸葛武侯、而文中子以終于湯子、業使然也、故庶乎安排布置、而非有意乎安排布置也、然人不信而謂之安排布置、又奚爲箚記之累哉、論語第二十、歷擧堯舜湯武以結焉、孟子七篇之終、亦歷擧堯舜至孔子之聖人以結焉、則余箚記不與之期、而乃入其規矩、而適免於淸儒張伯行性理正宗、擧堯舜及伊洛諸君子等于首、置性理字義于腹、貶陸王于尾杜撰臆斷之怪陋、則余之喜幸莫加焉、吾子少恕、
新字:或問曰、看子箚記下巻終、則挙董子已下諸賢之説、或以按語、或以弁説、而世代敘次、源流伝来、如不紊者、然則庶乎安排布置、而似非箚記日録之体何也、曰、吾嘗読諸賢之書、則後先錯雑、彼此参伍、固不有一定、吾何不与人同也、然筆之、則董子而諸葛武侯、而文中子以終于湯子、業使然也、故庶乎安排布置、而非有意乎安排布置也、然人不信而謂之安排布置、又奚為箚記之累哉、論語第二十、歴挙堯舜湯武以結焉、孟子七篇之終、亦歴挙堯舜至孔子之聖人以結焉、則余箚記不与之期、而乃入其規矩、而適免於清儒張伯行性理正宗、挙堯舜及伊洛諸君子等于首、置性理字義于腹、貶陸王于尾杜撰臆断之怪陋、則余之喜幸莫加焉、吾子少恕、
書き下し
或ひと問ひて曰く、子の箚記の下巻の終はりを看るに、則ち董子已下諸賢の説を挙げ、或いは按語を以てし、或いは弁説を以てし、而して世代の叙次、源流の伝来、紊れざるが如き者なり。然らば則ち安排布置に庶くして、箚記日録の体に非ざるに似たるは何ぞや。曰く、吾嘗て諸賢の書を読むに、則ち後先錯雑し、彼此参伍して、固より一定有らず。吾何ぞ人と同じからざらんや。然れども之を筆すれば、則ち董子にして諸葛武侯、而して文中子、以て湯子に終はるは、業の然らしむるなり。故に安排布置に庶くして、安排布置に意有るに非ざるなり。然れども人信ぜずして之を安排布置と謂ふも、又奚ぞ箚記の累ひと為さんや。論語第二十は、歴く堯舜湯武を挙げて以て結ぶ。孟子七篇の終はりも、亦歴く堯舜より孔子に至るの聖人を挙げて以て結ぶ。則ち余の箚記は之と期せずして、乃ち其の規矩に入り、而して適ま清儒張伯行の性理正宗が、堯舜及び伊洛の諸君子等を首に挙げ、性理字義を腹に置き、陸王を尾に貶する杜撰臆断の怪陋を免る。則ち余の喜幸焉より加ふる莫し。吾子少しく恕せよ。
現代語訳
ある人が問うた。「あなたの箚記の下巻の終わりを見ると、董子(董仲舒)以下の諸賢の説を挙げ、按語をつけたり弁説を加えたりしているが、世代の順序も源流の伝わり方も乱れていないようだ。それでは意図して配置したものに近く、箚記や日記の体裁ではないように思えるのはなぜか」。答えた。「私は以前、諸賢の書を読んだが、前後が入り混じり、あれこれ交錯して、もとより決まった順序はなかった。どうして私が人と違うことがあろうか。しかし書き記してみると、董子、諸葛武侯(諸葛亮)、文中子(王通)と続いて湯子(湯斌)に終わったのは、それまでの業がそうさせたのである。だから配置したように見えても、配置しようという意図があったのではない。それでも人が信じず配置したものだと言っても、箚記の傷にはならない。『論語』第二十篇は堯・舜・湯・武を次々に挙げて結び、『孟子』七篇の終わりも堯舜から孔子に至る聖人を次々に挙げて結んでいる。私の箚記は期せずしてその規範に入ったのであり、たまたま清の儒者張伯行の『性理正宗』が、堯舜や伊洛の諸君子(程子ら)を巻頭に挙げ、性理の字義を中ほどに置き、陸王(陸九淵・王守仁)を末尾に貶めたような、杜撰で臆断の醜さを免れた。私の喜びはこれ以上ない。どうか少し大目に見てほしい。」
解説
この章句が説くこと
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