洗心洞箚記 / 後自述
而始其刻之成也。授諸弟子。又以贈有志之人耳。而不敢欲公諸世也。頃者書肆積玉圃來曰。世旣知有洗心洞箚記。故間有就書肆以要購求之者。願公諸世。不獨書肆得利。學人亦當必大有益。予因再思之。其示于世。固非素志矣。然不示于世。則其所及者自不廣。所及不廣。則不覺道德太虛之微而終者。亦自不少也歟。同胞而忍坐視之哉。於是幡然改。而出藏刻之板以與之。而又謂之曰。汝等隨意以售於購之者。如有獲利。以其利乃別飜刻舶來聖賢之書。却復嘉惠吾輩。則其得益也。踰乎財貨萬倍。
新字:而始其刻之成也。授諸弟子。又以贈有志之人耳。而不敢欲公諸世也。頃者書肆積玉圃来曰。世既知有洗心洞箚記。故間有就書肆以要購求之者。願公諸世。不独書肆得利。学人亦当必大有益。予因再思之。其示于世。固非素志矣。然不示于世。則其所及者自不広。所及不広。則不覚道徳太虚之微而終者。亦自不少也歟。同胞而忍坐視之哉。於是幡然改。而出蔵刻之板以与之。而又謂之曰。汝等随意以售於購之者。如有獲利。以其利乃別翻刻舶来聖賢之書。却復嘉恵吾輩。則其得益也。踰乎財貨万倍。
書き下し
而して始め其の刻の成るや、諸を弟子に授け、又以て有志の人に贈るのみ。而して敢へて諸を世に公にせんと欲せざるなり。頃者書肆積玉圃来りて曰く、世既に洗心洞箚記有るを知る。故に間ま書肆に就きて以て之を購求せんと要むる者有り。願はくは諸を世に公にせよ。独り書肆利を得るのみならず、学人も亦当に必ず大いに益有るべしと。予因りて再び之を思ふ。其の世に示すは、固より素志に非ず。然れども世に示さずんば、則ち其の及ぶ所自ら広からず。及ぶ所広からずんば、則ち道徳太虚の微を覚らずして終はる者も、亦自ら少なからざらんか。同胞にして之を坐視するに忍びんや。是に於て幡然として改め、蔵刻の板を出だして以て之に与へ、又之に謂ひて曰く、汝等意に随ひて以て之を購ふ者に售れ。如し利を獲ること有らば、其の利を以て乃ち別に舶来の聖賢の書を翻刻し、却つて復た吾が輩に嘉恵せよ。則ち其の益を得るや、財貨に踰ゆること万倍ならんと。
現代語訳
さて、初めに版木ができたときは、弟子に授け、また志ある人に贈るだけで、世に公表しようとは思わなかった。近ごろ書肆の積玉圃が来て言った。「世間ではもう『洗心洞箚記』があることを知っていて、ときどき本屋に来て買い求めようとする者がいます。どうか世に公にしてください。本屋が利益を得るだけでなく、学ぶ人にもきっと大きな益があるはずです」。そこで私は改めて考えた。世に示すのは、もとより本来の志ではない。しかし世に示さなければ、その及ぶ範囲はおのずと広くならない。及ぶ範囲が広くなければ、道徳太虚の奥深さを悟らずに終わる者もおのずと少なくないだろう。同じ天地の子である同胞として、それを座視するに忍びようか。そこで考えをきっぱりと改め、しまっておいた版木を出して彼に与え、さらにこう言った。「君たちは思うままに買い求める者に売るがよい。もし利益が出たら、その利益で別に舶来の聖賢の書を翻刻し、かえって我々に恵んでほしい。そうすれば、その益は財貨に万倍まさるだろう」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『大和俗訓』巻之四・心術下一人の心の内、道徳の至りて尊く、至りて楽むべき理あり。君子はこれを知りて、尊びたのしみて、外に求めず。小人はこれを知らず、徳をそこなひ、道を失ひて、これを尊びたのしまず。ただ俗楽の賤しきわざをのみ楽とし、利欲を専らとし、長くうれひ苦みて、楽を失ふ。人となるものは、此楽を知るを貴しとす。是を知らずんは、人となれるかひなかるべし。此楽を知らんとならば、まことの学問をよくつとめて其理を知るべし。
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『洗心洞箚記』後自述道の大原は天より出づ。而して徳を知る者に由る鮮し。則ち道徳乃ち聖学の極致為り。而して天の太虚又其の原本為ること、居ながら知るべし。然り而して中人已下は、教へ有るに非ずんば、則ち其の極致原本を窺ふ能はず。故に孔門其の教へ四つ有り。曰く、文行忠信。其の則は乃ち詩書執礼なり。詩書執礼の中に文行忠信為る所以の目有り。而して要は各々其の性の近き所に従ひて入る。先儒の所謂、理は只だ一件、人の根器は斉しからず。宜しく知識の処より入るべきは、則ち教ふるに文を以てす。宜しく践履の処より入るべきは、則ち教ふるに行を以てす。宜しく己を尽くす処より入るべきは、則ち教ふるに忠を以てす。宜しく物に孚する処より入るべきは、則ち教ふるに信を以てす。猶ほ造化の万類を甄陶して、物に随ひて形を賦するがごとしと云ふ。因りて吾以為へらく、文は便ち是れ道徳太虚の華なり。行は便ち是れ道徳太虚の実なり。忠と信とは便ち是れ道徳太虚の質なり。而して道徳太虚乃ち化して詩書執礼と為るなり。故に道徳太虚を離れて別に文行忠信有るに非ざるなり。故に又道徳太虚を離れて別に詩書執礼有るに非ざるなり。
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『格言聯璧』持躬類・何物か是れ我なる外物を以て言へば、功名富貴を論ずる無く、即ち四肢百骸も、亦た軀殼なるのみ。 何物か是れ我なる、此に於て信じ得て及べば、則ち世味淡然たり。 天地に補ひ有るを功と曰ひ、世教に關はる有るを名と曰ひ、學問有るを富と曰ひ、謙恥有るを貴と曰ふ、是れを功名富貴と謂ふ。爲す無きを道と曰ひ、欲無きを德と曰ひ、鄙陋に習ふ無きを文と曰ひ、曖昧に近づく無きを章と曰ふ、是れを道德文章と謂ふ。
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『酔古堂剣掃』集法・貨財を積むの心を以て學問を積む貨財を積むの心を以て學問を積み、功名を求むるの念を以て道德を求め、子女を愛するの心を以て父母を愛し、爵位を保つの策を以て國家を保つ。
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『弁名』學仁斎先生曰く、「学問は道徳を以て本と為し、見聞を用と為す。今人の専ら書冊を読み義理を講ずるを以て学問と為す者の比に非ず」と。殊に知らず、学とは先王の道を学びて以て徳を己に成すを求むるのみなるを。故に道徳の外、豈に它有らんや。何の本末か之れ有らん。且つ子路曰く、「何ぞ必ずしも書を読みて、然る後に学と為さん」と。則ち孔子は夫の佞者を悪む。今書冊を読むを以て非と為す。世の所謂道学先生、自ら此の俗態有り。豈に醜からずや。且つ所謂見聞を用と為すとは、子張の干禄を引く。是れ自ら禄を干むるの道なり、豈に学問の法ならんや。六経を舎てて諸を見聞に求むれば、其の肆然として自ら恣にせざる者幾ど希なり。
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『洗心洞箚記』後自述嗚呼、之を総ぶるに、忠信の人と雖も、然も学を好まざれば、則ち孔子の坊を潰決するに庶し。而るを況んや浮文冥行の人をや。況んや徒に詩書執礼を学ぶ者をや。而して其の好学の二字は、一つは則ち孔子自ら言ひ、一つは則ち顔子を称するに之を以てし、而して未だ嘗て之を其の余の人に許さず。則ち其の重きこと知るべし。是の故に人孔門の四教を奉遵して、以て詩書執礼に従事すと雖も、然も其の好学の訣を知らざれば、則ち将に其の性の近き所に従ひて入らんとして、却つて其の性の近き所に偏り、以て道徳太虚の微を窺ふを得ず、遂に浮文冥行忠信にして学を好まざるの窠臼に墜ちて、一生頭を出だし身を跳らすこと能はず。古往今来、其の人数ふるに堪へず。是れ豈に惜しむべからざらんや。故に後進者は、好学の訣を知らざるべからざるなり。
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