格言聯璧 / 持躬類・何物か是れ我なる
以外物言,無論功名富貴,即四肢百骸,亦軀殼耳! 何物是我,於此信得及,則世味淡然矣。 有補於天地曰功,有關於世教曰名,有學問曰富,有謙恥曰貴,是謂功名富貴。無為曰道,無欲曰德,無習於鄙陋曰文,無近於曖昧曰章,是謂道德文章。
新字:以外物言,無論功名富貴,即四肢百骸,亦躯殼耳! 何物是我,於此信得及,則世味淡然矣。 有補於天地曰功,有関於世教曰名,有学問曰富,有謙恥曰貴,是謂功名富貴。無為曰道,無欲曰徳,無習於鄙陋曰文,無近於曖昧曰章,是謂道徳文章。
書き下し
外物を以て言へば、功名富貴を論ずる無く、即ち四肢百骸も、亦た軀殼なるのみ。 何物か是れ我なる、此に於て信じ得て及べば、則ち世味淡然たり。 天地に補ひ有るを功と曰ひ、世教に關はる有るを名と曰ひ、學問有るを富と曰ひ、謙恥有るを貴と曰ふ、是れを功名富貴と謂ふ。爲す無きを道と曰ひ、欲無きを德と曰ひ、鄙陋に習ふ無きを文と曰ひ、曖昧に近づく無きを章と曰ふ、是れを道德文章と謂ふ。
現代語訳
外の物の面から言えば、功名や富貴は言うまでもなく、手足や体の骨組みまで、ただの殻にすぎません。 どんな物が本当の自分なのでしょうか。このことを心から信じられれば、世俗の味わいは淡くなります。 天地の働きを助けることを功といい、世の教えに関わることを名といい、学問があることを富といい、謙虚で恥を知ることを貴といいます。これが本当の功名富貴です。作為がないことを道といい、欲がないことを徳といい、卑しい習いに染まらないことを文といい、うしろ暗いことに近づかないことを章といいます。これが本当の道徳文章です。
解説
前の単位の「何物か我に非ざる」と対をなす「何物か是れ我なる」の句から始まります。本性から見れば万物が我、外物から見れば肉体さえ殻にすぎず、そう信じられれば世俗の味わいに淡白になれると言います。後半は、功名富貴と道徳文章という世間でよく使われる四字熟語を、それぞれ一字ずつ定義し直した聯です。功は天地への貢献、名は世の教えへの寄与、富は学問、貴は謙虚と恥を知ることとします。世間の成功の言葉を中身から問い直す視点は、自分にとっての本当の豊かさや成功とは何かを考え直すきっかけになります。
この章句が説くこと
功名富貴道徳持躬淡泊学問
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