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洗心洞箚記 / 箚記自述

於是悔亦旣晚矣。故與梓而悔。曷如不梓而無悔也。昔者伊川程子焚其中庸自註。朱子其死前三日猶改今本大學誠意章。而陽明先生雖嘗著五經臆說。今傳乎世者其十三條與自敘。僅見之遺文中焉耳。如其全文。則先生旣自謂付秦火久矣。註經之難。在大賢猶若此。況吾輩折衷諸說以釋之乎。必不免向者所謂之罪斷可知矣。故何敢付剞劂爲。若夫有志于斯學者。寫以閱可也。而猶無已。則其唯箚記乎。余箚記者。僭倣河東讀書錄。寧陵呻吟語。及寒松堂庸言等。每有目之所觸。心之所得。筆之以自警。又以助發子弟之憤悱已矣。

新字:於是悔亦既晩矣。故与梓而悔。曷如不梓而無悔也。昔者伊川程子焚其中庸自註。朱子其死前三日猶改今本大学誠意章。而陽明先生雖嘗著五経臆説。今伝乎世者其十三条与自敘。僅見之遺文中焉耳。如其全文。則先生既自謂付秦火久矣。註経之難。在大賢猶若此。況吾輩折衷諸説以釈之乎。必不免向者所謂之罪断可知矣。故何敢付剞劂為。若夫有志于斯学者。写以閲可也。而猶無已。則其唯箚記乎。余箚記者。僭倣河東読書録。寧陵呻吟語。及寒松堂庸言等。毎有目之所触。心之所得。筆之以自警。又以助発子弟之憤悱已矣。

書き下し

是に於て悔ゆるも亦既に晩し。故に梓に与へて悔ゆるは、梓せずして悔い無きに曷如ぞ。昔者伊川程子は其の中庸の自註を焚き、朱子は其の死する前三日猶ほ今本大学の誠意章を改む。而して陽明先生は嘗て五経臆説を著すと雖も、今世に伝はる者は其の十三条と自叙とのみ、僅かに之を遺文中に見るのみ。其の全文の如きは、則ち先生既に自ら秦火に付すること久しと謂へり。経に註するの難き、大賢に在りても猶ほ此の若し。況んや吾が輩諸説を折衷して以て之を釈するをや。必ず向に所謂罪を免れざること断じて知るべし。故に何ぞ敢へて剞劂に付せんや。若し夫れ斯の学に志有る者は、写して以て閲して可なり。而して猶ほ已む無くんば、則ち其れ唯だ箚記か。余が箚記は、僭して河東の読書録、寧陵の呻吟語、及び寒松堂の庸言等に倣ひ、毎に目の触るる所、心の得る所有れば、之を筆して以て自ら警め、又以て子弟の憤悱を助発するのみ。

現代語訳

そうなってから悔いても、もう遅い。だから版木に彫って後悔するより、彫らずに後悔のないほうがどれほどよいか。昔、伊川程子(程頤)は自分の『中庸』の注を焼き、朱子は死ぬ三日前まで今本『大学』の誠意章を改めていた。陽明先生(王守仁)はかつて『五経臆説』を著したが、いま世に伝わるのはその十三条と自序だけで、それも遺文の中にわずかに見えるにすぎない。全文については、先生自身がとうに秦の焚書のように火に投じたと言っている。経に注をつけることの難しさは、大賢でさえこのようである。まして私どもが諸説を折衷して解釈するのならなおさらだ。先に言った罪を必ず免れないことは断じて明らかである。だからどうして版木に彫ったりできようか。もしこの学に志す者がいれば、書き写して読めばよい。それでもなお刊行をやめられないというなら、まあ箚記くらいであろうか。私の箚記は、身の程知らずにも河東の『読書録』(薛瑄)、寧陵の『呻吟語』(呂坤)、寒松堂の『庸言』(魏象枢)などに倣い、目に触れ心に得るものがあるたびに書きとめて自分を戒め、また門弟が奮い立ち言葉を求める心を助け起こそうとするだけのものである。」

解説

経の注釈を刊行しない理由として、程頤が『中庸』の自注を焼き、朱子が死の三日前まで『大学』誠意章を改め、王陽明が『五経臆説』をほとんど火に投じた故事を引く。大賢でさえ注釈には慎重だったのだから自分はなおさらだ、という論法である。代わりに出すのが、薛瑄・呂坤・魏象枢に倣った箚記、つまり読書と反省の覚え書きである。体系を誇る完成品より、日々の気づきを自戒として書き留める形を選んだことは、仕事の記録や日誌を他人に見せるためでなく自分を正すために書くという姿勢に通じる。

この章句が説くこと

学問修己箚記自警朱子陽明学

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