潜夫論 / 誌氏姓
帝乙元子微子啟,紂之庶兄也。武王封之於宋,今之睢陽是也。宋孔氏、祝其氏、韓獻氏、季老男氏、巨辰經氏、事父氏、皇甫氏、華氏、魚氏、而董氏、艾歲氏、鳩夷氏、中野氏、越椒氏、完氏、懷氏、不弟氏、冀氏、牛氏、司城氏、岡(網)氏、近氏、止氏、朝氏、勃氏、右歸氏、三㐾氏、王夫氏、宜氏、徵氏、鄭氏、目夷氏、鱗氏、臧氏、虺氏、沙氏、黑氏、圍龜氏、既氏、據氏、磚氏、己氏、成氏、邊氏、戎氏、買氏、尾氏、桓氏、戴氏、向氏、司馬氏,皆子姓也。閔公子弗父河(何)生宋父,宋父生世子,世子生正考父,正考父生孔父嘉,孔父嘉生子木金父,木金父降為士,故曰滅於宋。金父生祇父,祇父生防叔,防叔為華氏所逼,出奔魯為防大夫,故曰防叔。防叔生伯夏,伯夏(生)叔梁紇,為鄹大夫,故曰鄹叔紇,生孔子。
新字:帝乙元子微子啓,紂之庶兄也。武王封之於宋,今之睢陽是也。宋孔氏、祝其氏、韓献氏、季老男氏、巨辰経氏、事父氏、皇甫氏、華氏、魚氏、而董氏、艾歳氏、鳩夷氏、中野氏、越椒氏、完氏、懐氏、不弟氏、冀氏、牛氏、司城氏、岡(網)氏、近氏、止氏、朝氏、勃氏、右帰氏、三㐾氏、王夫氏、宜氏、徴氏、鄭氏、目夷氏、鱗氏、臧氏、虺氏、沙氏、黒氏、囲亀氏、既氏、拠氏、磚氏、己氏、成氏、辺氏、戎氏、買氏、尾氏、桓氏、戴氏、向氏、司馬氏,皆子姓也。閔公子弗父河(何)生宋父,宋父生世子,世子生正考父,正考父生孔父嘉,孔父嘉生子木金父,木金父降為士,故曰滅於宋。金父生祇父,祇父生防叔,防叔為華氏所逼,出奔魯為防大夫,故曰防叔。防叔生伯夏,伯夏(生)叔梁紇,為鄹大夫,故曰鄹叔紇,生孔子。
書き下し
帝乙の元子微子啓は、紂の庶兄なり。武王之を宋に封ず、今の睢陽是なり。宋の孔氏・祝其氏・韓献氏・季老男氏・巨辰経氏・事父氏・皇甫氏・華氏・魚氏・而董氏・艾歳氏・鳩夷氏・中野氏・越椒氏・完氏・懐氏・不弟氏・冀氏・牛氏・司城氏・岡(網)氏・近氏・止氏・朝氏・勃氏・右帰氏・三㐾氏・王夫氏・宜氏・徴氏・鄭氏・目夷氏・鱗氏・臧氏・虺氏・沙氏・黒氏・囲亀氏・既氏・拠氏・磚氏・己氏・成氏・辺氏・戎氏・買氏・尾氏・桓氏・戴氏・向氏・司馬氏は、皆子姓なり。閔公の子弗父河(何)は宋父を生み、宋父は世子を生み、世子は正考父を生み、正考父は孔父嘉を生み、孔父嘉は子木金父を生み、木金父は降りて士と為る、故に宋に滅ぶと曰ふ。金父は祇父を生み、祇父は防叔を生み、防叔は華氏の逼る所と為り、出でて魯に奔り防の大夫と為る、故に防叔と曰ふ。防叔は伯夏を生み、伯夏(生)は叔梁紇を生み、鄹の大夫と為る、故に鄹叔紇と曰ひ、孔子を生む。
現代語訳
帝乙の長子の微子啓は、紂の庶出の兄です。武王は彼を宋に封じました。今の睢陽がそれです。宋の孔氏・祝其氏・韓献氏・季老男氏・巨辰経氏・事父氏・皇甫氏・華氏・魚氏・而董氏・艾歳氏・鳩夷氏・中野氏・越椒氏・完氏・懐氏・不弟氏・冀氏・牛氏・司城氏・岡(網)氏・近氏・止氏・朝氏・勃氏・右帰氏・三㐾氏・王夫氏・宜氏・徴氏・鄭氏・目夷氏・鱗氏・臧氏・虺氏・沙氏・黒氏・囲亀氏・既氏・拠氏・磚氏・己氏・成氏・辺氏・戎氏・買氏・尾氏・桓氏・戴氏・向氏・司馬氏は、みな子姓です。閔公の子の弗父河(何)は宋父を生み、宋父は世子を生み、世子は正考父を生み、正考父は孔父嘉を生み、孔父嘉は子木金父を生み、木金父は士に降りたので、「宋で滅んだ」と言われます。金父は祇父を生み、祇父は防叔を生み、防叔は華氏に迫られて、魯に逃れて防の大夫となったので、防叔と呼ばれます。防叔は伯夏を生み、伯夏(生)は叔梁紇を生み、叔梁紇は鄹の大夫となったので鄹叔紇と呼ばれ、孔子を生みました。
解説
この章句が説くこと
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孔子家語・本姓解孔子の先は、宋の後なり。微子啟は、帝乙の元子、紂の庶兄にして、圻内の諸侯を以て入りて王の卿士と為る。微は、国名、子爵なり。初め武王殷に克つや、紂の子武庚を朝歌に封じ、湯の祀りを奉ぜしむ。武王崩じて、管・蔡・霍の三叔と難を作す。周公成王を相け、東のかたこれを征す。二年にして、罪人斯に得られ、乃ち微子を殷に命ず。後に微子の命を作り、これに由りて国を宋に与え、殷の子孫を徙す。唯だ微子は先に周に仕えたれば、故にこれを封ずるに賢なりとす。その弟を仲思と曰い、名は衍、或いは泄と名づく。微の後を嗣ぐ、故に微仲と号す。宋公稽という胄子を生む。爵を遷し位を易うと雖も、班級その故きに及ばざれば、故官を以て称と為すを得。故に二微は宋公と為ると雖も、猶お微の号を以て自ら終う。稽に至りて乃ち公と称す。宋公、丁公申を生む。申公、緡公共及び襄公熙を生む。熙、弗父何及び厲公方祀を生む。方祀より以下、世々宋の卿と為る。弗父何、宋父周を生む。周、世子勝を生む。勝、正考甫を生む。考甫、孔父嘉を生む。五世にして親尽き、別れて公族と為る、故に後に孔を以て氏と為す。一に曰く、孔父とは、生時に賜う所の号なり、是を以て子孫遂に氏族とす。孔父、子木金父を生む。金父、睪夷を生む。睪夷、防叔を生む、華氏の禍を避けて魯に奔る。方叔、伯夏を生む。伯夏、叔梁紇を生む、曰く九女ありと雖も、是れ子無し。その妾、孟皮を生む、孟皮は一に伯尼と字す、跛足あり。ここに於て乃ち婚を顔氏に求む。顔氏に三女あり、その小を徴在と曰う。顔父、三女に問いて曰く、「陬大夫は父祖士たりと雖も、然れどもその先は聖王の裔なり。今その人身の長十尺、武力絶倫にして、吾甚だこれを貪る。年長け性厳しと雖も、疑いを為すに足らず。三子孰れかよくこれが妻と為らん」と。二女対うる莫し。徴在進みて曰く、「父の制する所に従わん、将た何ぞ問わんや」と。父曰く、「即ち爾よくせん」と。遂に以てこれに妻せしむ。徴在既に廟見するや、夫の年の大なるを以て、時に勇あらざるを懼れ、私かに尼丘の山に禱りて以て祈る。孔子を生む、故に名を丘とし、字を仲尼とす。孔子三歳にして叔梁紇卒す、防に葬る。十九に至りて、宋の亓官氏に娶る、一歳にして伯魚を生む。魚の生まるるや、魯の昭公、鯉魚を以て孔子に賜う。君の貺を栄とし、故に因りて名づけて鯉と曰い、字を伯魚とす。魚、年五十にして、孔子に先だちて卒す。
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『潜夫論』誌氏姓衛侯邢を滅ぼし、昭公同姓を娶る、言うこころは皆祖を同じくするなり。近古以来は、則ち必ずしも然らず。古の姓を賜うは、大諦用うべきも、其の余は則ち難し。周室衰微し、呉・楚号を僭し、七国を暦て、咸な各おの王を称す。故に王氏・王孫氏・公孫氏及び諡氏官は、国自ら之を有ち、千八百国、諡官は万を数え、故に元より同じくすべからざるなり。孫氏に及びては、或いは王孫の班なり、或いは諸孫の班なり。故に祖を同じくして姓を異にする有り、姓を同じくして祖を異にする有り、亦た雑錯して、変じて相入る有り、或いは母の姓に従い、或いは怨仇を避く。夫れ律を吹きて姓を定むるは、唯だ聖のみ能くす。今民散ずること久しく、克く達する鮮し。音律は天の主る、其の祖を尊正す、故に且く略ぼ顕者を紀し、以て士の合揖して損せんことを待つ。伏羲は姓風、其の後任・宿・須朐・顓臾の四国に封ぜらる。実に太皡を司り、有済の祀に与り、且つ東蒙の主たり、魯の僖公の母成風は、蓋し須朐の女なり。季氏顓臾を伐たんと欲し、而して孔子之を譏る。炎帝の苗胄、四嶽の伯夷、堯の為に典礼し、民を折むるに惟れ刑、以て申・呂に封ず。裔尚を生み、文王の師と為り、殷に克ちて之を斉に封じ、或いは許・向に封じ、或いは紀に封じ、或いは申に封ず。
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『潜夫論』誌氏姓周氏・邵氏・畢氏・栄氏・単氏・尹氏・錙氏・富氏・厓氏・萇氏は、此れ皆周室の世よの公卿の家なり。周召は、周公・召公の庶子にして、二公の采を食み、以て主吏と為す、故に世よ周公・召公有りて絶えざるなり。尹は、本官名なり、宋に太師有り、楚に令尹・左尹有るが若し。尹吉甫は宣王を相けて大功績あり。詩に云う「尹氏大師、維れ周の底なり」と。単穆公・襄公・頎公・靖公は、世よ明徳有り、次聖の才あり、故に叔向之を美め、以て後必ず繁昌せんとす。苦城は、城の名なり、塩池の東北に在り。後人之を書するに或いは枯と為し、斉人其の音を聞けば則ち之を書して車と曰い、敦煌其の字を見て、之を呼びて車城と曰う。其の漢陽に在る者は、枯・苦の字を喜ばず、則ち更めて之を書して古城氏と曰う。堂谿は、谿穀の名なり、汝南西平に在り。禹の字子啟とは、啟は、開の字なり。前人堂谿を書して誤りて啟と作し、後人之を変ずれば、則ち又開と作す。古の漆雕開・公冶長は、前人雕を書するに易に従い、渻して周に作り、冶を書して漢誤りて(蠱)に作り、後人又伝えて古と作す。
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史記 孔子世家孔子は魯の昌平郷陬邑に生まる。其の先は宋人なり、孔防叔と曰ふ。防叔、伯夏を生み、伯夏、叔梁紇を生む。紇、顔氏の女と野合して孔子を生む、尼丘に禱りて孔子を得たり。魯の襄公二十二年にして孔子生まる。生まれながらにして首上圩頂なり、故に因りて名づけて丘と曰ふと云ふ。字は仲尼、姓は孔氏。丘生まれて叔梁紇死し、防山に葬る。防山は魯の東に在り、是に由りて孔子其の父の墓処を疑ふ、母之を諱めばなり。孔子児たりしとき嬉戯するに、常に俎豆を陳ね、礼容を設く。孔子の母死するや、乃ち五父の衢に殯す、蓋し其の慎みなり。郰人輓父の母、孔子に父の墓を誨へ、然る後に往きて防に合葬す。孔子要絰するとき、季氏士を饗す、孔子与に往く。陽虎絀けて曰く、「季氏は士を饗す、敢へて子を饗するに非ざるなり」と。孔子是に由りて退く。孔子年十七、魯の大夫孟釐子病みて且に死せんとし、其の嗣懿子を誡めて曰く、「孔丘は聖人の後なり、宋に滅ぶ。其の祖弗父何、始め宋を有ちて厲公に嗣を譲る。正考父の戴・武・宣公を佐くるに及び、三たび命ぜられて茲に益々恭し、故に鼎の銘に云ふ、『一命にして僂し、再命にして傴し、三命にして俯す、牆に循ひて走る、亦た敢へて余を侮る莫し。是に饘し、是に粥して、以て余が口を餬す』と。其の恭しきこと是くの如し。吾聞く、聖人の後は、世に当たらずと雖も、必ず達者有りと。今孔丘年少くして礼を好む、其れ達者か。吾即し没せば、若必ず之を師とせよ」と。釐子卒するに及び、懿子と魯人南宮敬叔と往きて礼を学ぶ。是の歳、季武子卒し、平子代はりて立つ。孔子貧しくして且つ賤し。長ずるに及び、嘗て季氏の史と為り、料量平らかなり。嘗て司職の吏と為りて畜蕃息す。是に由りて司空と為る。已にして魯を去り、斉に斥けられ、宋・衛に逐はれ、陳蔡の間に困しみ、是に於て魯に反る。
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『潜夫論』誌氏姓魯の公族に、蟜氏・後氏・衆氏・臧氏・施氏・孟氏・仲孫氏・服氏・公山氏・南宮氏・叔孫氏・叔仲氏・子我氏・子士氏・季氏・公鉏氏・公巫氏・公之氏・子幹氏・華氏・子言氏・子駶(駒)氏・子雅氏・子陽氏・東門氏・公折(析)氏・公石氏・叔氏・子家氏・栄氏・展氏・乙氏有り、皆魯の姫姓なり。
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『潜夫論』誌氏姓帝堯の後は陶唐氏と為る。後に劉累有り、能く龍を畜ひ、孔甲姓を御龍と賜ひ、以て豕韋の後に更ふ。周に至りて唐杜氏と為る。周衰へ、隰叔子有り、周の難を晋国に違ひ、子輿を生み、李と為り、以て朝に正し、朝に間(奸)官無し、故に氏は士氏と為る。司空と為り、以て国に正し、国に敗績無し、故に氏は司空。采を随に食む、故に随氏と氏とす。士袴の孫会、文・襄を佐け、諸侯に於て悪無し。卿と為り、以て成・景を輔け、軍に敗政無し。成率と為り、傅に居り、刑法を端し、訓典を集め、国に姦民無く、晋国の盗は逃げて秦に奔る。是に於て晋侯為に冕服を王に請ひ、王随会に命じて卿と為し、是を以て範を受け、卒して武子と諡す。武子は文にして、晋・荊の盟を成し、兄弟の国を降し、間隙無からしむ、是を以て郇・櫟を受く。此に由りて帝堯の後に、陶唐氏・劉氏・御龍氏・唐杜氏・隰氏・士氏・季氏・司空氏・趙氏・範氏・郇氏・櫟氏・嬴(彘)氏・冀氏・穀氏・薔氏・擾氏・㩏(狸)氏・傅氏有り。
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