潜夫論 / 誌氏姓
帝堯之後為陶唐氏。後有劉累,能畜龍,孔甲賜姓為禦龍,以更豕韋之後。至周為唐杜氏。周衰,有隰叔子,違周難於晉國,生子輿,為李,以正於朝,朝無間(奸)官,故氏為士氏;為司空,以正於國,國無敗績,故氏司空;食采隨,故氏隨氏。士袴之孫會,佐文、襄,於諸侯無惡;為卿,以輔成、景,軍無敗政;為成率,居傅,端刑法,集訓典,國無奸民,晉國之盜逃奔於秦。於是晉侯為請冕服於王,王命隨會為卿,是以受範,卒諡武子。武子文,成晉、荊之盟,降兄弟之國,使無間隙,是以受郇、櫟。由此帝堯之後,有陶唐氏、劉氏、禦龍氏、唐杜氏、隰氏、士氏、季氏、司空氏、趙氏、範氏、郇氏、櫟氏、嬴(彘)氏、冀氏、穀氏、薔氏、擾氏、㩏(狸)氏、傅氏。
新字:帝堯之後為陶唐氏。後有劉累,能畜竜,孔甲賜姓為禦竜,以更豕韋之後。至周為唐杜氏。周衰,有隰叔子,違周難於晋国,生子輿,為李,以正於朝,朝無間(奸)官,故氏為士氏;為司空,以正於国,国無敗績,故氏司空;食采随,故氏随氏。士袴之孫会,佐文、襄,於諸侯無悪;為卿,以輔成、景,軍無敗政;為成率,居傅,端刑法,集訓典,国無奸民,晋国之盗逃奔於秦。於是晋侯為請冕服於王,王命随会為卿,是以受範,卒諡武子。武子文,成晋、荊之盟,降兄弟之国,使無間隙,是以受郇、櫟。由此帝堯之後,有陶唐氏、劉氏、禦竜氏、唐杜氏、隰氏、士氏、季氏、司空氏、趙氏、範氏、郇氏、櫟氏、嬴(彘)氏、冀氏、穀氏、薔氏、擾氏、㩏(狸)氏、傅氏。
書き下し
帝堯の後は陶唐氏と為る。後に劉累有り、能く龍を畜ひ、孔甲姓を御龍と賜ひ、以て豕韋の後に更ふ。周に至りて唐杜氏と為る。周衰へ、隰叔子有り、周の難を晋国に違ひ、子輿を生み、李と為り、以て朝に正し、朝に間(奸)官無し、故に氏は士氏と為る。司空と為り、以て国に正し、国に敗績無し、故に氏は司空。采を随に食む、故に随氏と氏とす。士袴の孫会、文・襄を佐け、諸侯に於て悪無し。卿と為り、以て成・景を輔け、軍に敗政無し。成率と為り、傅に居り、刑法を端し、訓典を集め、国に姦民無く、晋国の盗は逃げて秦に奔る。是に於て晋侯為に冕服を王に請ひ、王随会に命じて卿と為し、是を以て範を受け、卒して武子と諡す。武子は文にして、晋・荊の盟を成し、兄弟の国を降し、間隙無からしむ、是を以て郇・櫟を受く。此に由りて帝堯の後に、陶唐氏・劉氏・御龍氏・唐杜氏・隰氏・士氏・季氏・司空氏・趙氏・範氏・郇氏・櫟氏・嬴(彘)氏・冀氏・穀氏・薔氏・擾氏・㩏(狸)氏・傅氏有り。
現代語訳
帝堯の後裔は陶唐氏となりました。のちに劉累が出て、よく龍を飼い、孔甲が御龍という姓を賜り、豕韋の後に代えました。周の時代には唐杜氏となりました。周が衰えると、隰叔子が周の難を晋の国に避け、子輿を生みました。子輿は李(裁判官)となって朝廷を正し、朝廷にあざむく(姦邪の)官がいなかったので、氏は士氏となりました。司空となって国を正し、国に敗戦がなかったので、氏は司空とも言います。随に采邑を得たので、随氏とも称しました。士袴の孫の会は、文公・襄公を助けて諸侯に悪く言われることがありませんでした。卿となって成公・景公を補佐し、軍に失政がありませんでした。成率となり、傅の位にあって、刑法を正し、古来の教えと典籍を集めたので、国に悪人がいなくなり、晋国の盗賊は逃げて秦に走りました。そこで晋侯は彼のために冕服を周王に請い、王は随会を卿に任じました。こうして規範を受け、没して武子と諡されました。武子は文徳があり、晋と楚の盟を結ばせ、兄弟の国を従わせて、隔たりをなくしたので、郇と櫟を賜りました。このことから、帝堯の後には、陶唐氏・劉氏・御龍氏・唐杜氏・隰氏・士氏・季氏・司空氏・趙氏・範氏・郇氏・櫟氏・嬴(彘)氏・冀氏・穀氏・薔氏・擾氏・㩏(狸)氏・傅氏があるのです。
解説
この章句が説くこと
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