潜夫論 / 德化
詩云:「敦彼行葦,羊牛勿踐履,方苞方體,惟葉柅柅。」又曰:「鳶飛厲天,魚躍於淵,愷悌君子,胡不作人。」公劉厚德,恩及草木,羊牛六畜,且猶感德,消息於心。己之所無,不以責下;我之所有,不以譏彼。感己之好敬也,故接士以禮;感己之好愛也,故遇人有恩。己欲立而立人,己欲達而達人。善人之憂我也,故先勞人;惡人之忘我也,故常念人。凡品則不然,論人不恕己,動作不思心,無之己而責之人,有之我而譏之彼,己無禮而責人敬,己無恩而責人愛,貧賤則非人之不我憂也,富貴則是我之不憂人也。行己若此,難以稱仁矣。
新字:詩云:「敦彼行葦,羊牛勿践履,方苞方体,惟葉柅柅。」又曰:「鳶飛厲天,魚躍於淵,愷悌君子,胡不作人。」公劉厚徳,恩及草木,羊牛六畜,且猶感徳,消息於心。己之所無,不以責下;我之所有,不以譏彼。感己之好敬也,故接士以礼;感己之好愛也,故遇人有恩。己欲立而立人,己欲達而達人。善人之憂我也,故先労人;悪人之忘我也,故常念人。凡品則不然,論人不恕己,動作不思心,無之己而責之人,有之我而譏之彼,己無礼而責人敬,己無恩而責人愛,貧賤則非人之不我憂也,富貴則是我之不憂人也。行己若此,難以称仁矣。
書き下し
詩に云う、「敦たる彼の行葦、牛羊践履する勿れ、方に苞み方に体し、惟れ葉柅柅たり」と。又た曰く、「鳶飛んで天に厲り、魚淵に躍る。愷悌の君子、胡ぞ人を作さざる」と。公劉は徳を厚くし、恩は草木に及び、牛羊・六畜すら、且つ猶お徳に感じ、心に消息す。己の無き所は、以て下に責めず、我の有つ所は、以て彼を譏らず。己の敬を好むに感ず、故に士に接するに礼を以てす。己の愛を好むに感ず、故に人に遇するに恩有り。己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。善人の我を憂うるに感ず、故に先ず人を労う。悪人の我を忘るるに感ず、故に常に人を念う。凡品は則ち然らず、人を論じて己を恕せず、動作に心を思わず、之を己に無くして之を人に責め、之を我に有して之を彼に譏り、己に礼無くして人の敬を責め、己に恩無くして人の愛を責め、貧賤なれば則ち人の我を憂えざるを非とし、富貴なれば則ち我の人を憂えざるを是とす。己を行うこと此くの若くんば、以て仁と称し難し。
現代語訳
《詩》に「厚く茂る道ばたの葦を、牛や羊は踏むな。ちょうど芽が出て形を整え、葉がしっとりとやわらかい」とあります。また「鳶は飛んで天に至り、魚は淵に躍る。やわらぎ楽しむ君子は、どうして人を育てないことがあろうか」ともあります。公劉は徳が厚く、その恩は草木にまで及び、牛や羊などの家畜でさえ、徳に感じて心を動かしました。自分に無いものを下に責めず、自分が持つものを他人のそしりに使いません。自分が敬われたいと思うことに気づくので、士に接するのに礼をもってします。自分が愛されたいと思うことに気づくので、人に接するのに恩をもってします。自分が立ちたいと思えば人を立て、自分が達したいと思えば人を達させます。善い人が自分を気遣ってくれることに感じて、まず人をねぎらい、悪い人が自分を忘れることに感じて、常に人を思いやります。凡人はそうではなく、人を論じて自分を許し、行動で人の気持ちを思いやらず、自分に無いことを人に責め、自分にあることを他人にそしり、自分に礼がないのに人の敬いを責め、自分に恩がないのに人の愛を責め、貧賤のときは人が自分を気遣わないことを非難し、富貴のときは自分が人を気遣わないことを当然とします。このように自分を行うのでは、仁と称することは難しいでしょう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』心志意孔子曰く、「仁に依る」と。又た曰く、「其の心三月仁に違はず」と。是れ孔子学者に教へ、其の心をして常に先王安民の徳に依りて、相違はざらしむるなり。又た曰く、「択びて仁に処らずんば、焉んぞ知なるを得ん」と。其の心を仁に居くを言ふなり。其の言殊なりと雖も、其の義実は同じ。蓋し皆古語なり。夫れ仁は先王の礼を制する所以なり。苟も礼を為して礼の制する所以を知らざれば、則ち徳成り難し。然れども三代の隆んなるに当たりては、士学びて成れば、則ち挙げて之を用ふ。一世の人、先王の仁に游泳し、黙して之を識る。豈に依らざる者有らんや。春秋の時に及びて、大夫官を世々にし、賢者用ひられず、先王の仁遠くして見るべからず。則ち士の先王の道を学びて独り其の身を善くする者、比比として皆是れなり。是に於いてか遂に其の仁を忘れて、徒らに以て芸と為す。徳の成り難き所以なり。故に孔子教ふるに仁に依るを以てす。亦た衰世の意なり。豈に礼の外に出でんや。然れども先王の仁見るべからざる者、其の今世に在りては、亦た春秋の時より甚だし。則ち仁礼の二言、永く千万世心を治むるの道為り。学者諸を思へ。
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『慎思録』巻之二禽獣は己を愛することを知りて、物を愛することを知らず。是れ不仁に由る。故に礼無く義無し。此れ禽獣の道なり。人道は則ち然らず。己を愛し又人を愛す。是れ此れ仁有るに由る。是を以て礼有り義有り。是れ人と禽獣との由りて分かるる所なり。人苟も己に便にして礼無く、己に利ありて義無ければ、則ち禽獣と何ぞ異ならんや。
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