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配所残筆 / 配所殘筆32

板倉內膳公へ於法泉寺拙者御無禮仕候御沙汰御坐候由風聞承候。板倉公御老中樣に被爲成候時分者。拙者親相煩罷在候。頓而相果候故。從此方終御目見不申上候。忌中并忌明申候而も。度々御使者被下。每度御念頃に被仰下候へ共。忌明候以後も。拙者病氣に罷在御禮にも參上不仕候。翌年四月五日初而爲御禮參上仕候。其節者御他行被遊不奉得尊意候。其後四月廿九日拙者近所法泉寺御出被成候間。彼地へ參上仕候而奉得尊意候樣に被仰下候。尤誰も無御坐。石谷市右衞門殿迄御出候間。御閑談仕候樣に參上仕候得ども。御自筆之尊書被下候。就夫法泉寺へ伺候仕候。拙者參上以後板倉公御出被遊候て。爲御迎庭上迄罷出候。御着坐之後敷居を隔。度々御使被成下難有奉存候段御禮申上候。被仰候者。左樣に急度仕候而は難被仰談候間。他所亦者人多候時分者尤に候。今日者いつもの如く内へ入り申候而無遠慮奉得尊意候樣に再三被仰聞候故。奉伺尊意。乍恐御一座へ入申候。御同氏石州公も御出。被成料理申候。小間御座候而御咄共御座候。板倉公被仰候者。不德の我等に大役被仰付難有被思召候へ共。諸事無心元思召候。第一天下之政者何事を專用に可仕と存候故と被仰候故。拙者式之凡下之者天下之御政道如斯可有御座などと存寄可申候事無御座候哉。自分之工夫は無御座候。古來より聖人申置候は。天下之政者仁を本に仕候而禮を行候迄の由申傳候と申上候得者。少々御合點不被遊候哉。仁は左樣にも可有之。禮は大事の物に候由。輕御挨拶被遊候。次に被仰候者保科肥後守殿御學問之筋者如何承候哉と被仰候間。

新字:板倉内膳公へ於法泉寺拙者御無礼仕候御沙汰御坐候由風聞承候。板倉公御老中様に被為成候時分者。拙者親相煩罷在候。頓而相果候故。従此方終御目見不申上候。忌中并忌明申候而も。度々御使者被下。毎度御念頃に被仰下候へ共。忌明候以後も。拙者病気に罷在御礼にも参上不仕候。翌年四月五日初而為御礼参上仕候。其節者御他行被遊不奉得尊意候。其後四月廿九日拙者近所法泉寺御出被成候間。彼地へ参上仕候而奉得尊意候様に被仰下候。尤誰も無御坐。石谷市右衛門殿迄御出候間。御閑談仕候様に参上仕候得ども。御自筆之尊書被下候。就夫法泉寺へ伺候仕候。拙者参上以後板倉公御出被遊候て。為御迎庭上迄罷出候。御着坐之後敷居を隔。度々御使被成下難有奉存候段御礼申上候。被仰候者。左様に急度仕候而は難被仰談候間。他所亦者人多候時分者尤に候。今日者いつもの如く内へ入り申候而無遠慮奉得尊意候様に再三被仰聞候故。奉伺尊意。乍恐御一座へ入申候。御同氏石州公も御出。被成料理申候。小間御座候而御咄共御座候。板倉公被仰候者。不徳の我等に大役被仰付難有被思召候へ共。諸事無心元思召候。第一天下之政者何事を専用に可仕と存候故と被仰候故。拙者式之凡下之者天下之御政道如斯可有御座などと存寄可申候事無御座候哉。自分之工夫は無御座候。古来より聖人申置候は。天下之政者仁を本に仕候而礼を行候迄の由申伝候と申上候得者。少々御合点不被遊候哉。仁は左様にも可有之。礼は大事の物に候由。軽御挨拶被遊候。次に被仰候者保科肥後守殿御学問之筋者如何承候哉と被仰候間。

書き下し

板倉內膳公へ於法泉寺拙者御無禮仕候御沙汰御坐候由風聞承候。板倉公御老中樣に被爲成候時分者。拙者親相煩罷在候。頓而相果候故。從此方終御目見不申上候。忌中并忌明申候而も。度々御使者被下。每度御念頃に被仰下候へ共。忌明候以後も。拙者病氣に罷在御禮にも參上不仕候。翌年四月五日初而爲御禮參上仕候。其節者御他行被遊不奉得尊意候。其後四月廿九日拙者近所法泉寺御出被成候間。彼地へ參上仕候而奉得尊意候樣に被仰下候。尤誰も無御坐。石谷市右衞門殿迄御出候間。御閑談仕候樣に參上仕候得ども。御自筆之尊書被下候。就夫法泉寺へ伺候仕候。拙者參上以後板倉公御出被遊候て。爲御迎庭上迄罷出候。御着坐之後敷居を隔。度々御使被成下難有奉存候段御禮申上候。被仰候者。左樣に急度仕候而は難被仰談候間。他所亦者人多候時分者尤に候。今日者いつもの如く内へ入り申候而無遠慮奉得尊意候樣に再三被仰聞候故。奉伺尊意。乍恐御一座へ入申候。御同氏石州公も御出。被成料理申候。小間御座候而御咄共御座候。板倉公被仰候者。不德の我等に大役被仰付難有被思召候へ共。諸事無心元思召候。第一天下之政者何事を專用に可仕と存候故と被仰候故。拙者式之凡下之者天下之御政道如斯可有御座などと存寄可申候事無御座候哉。自分之工夫は無御座候。古來より聖人申置候は。天下之政者仁を本に仕候而禮を行候迄の由申傳候と申上候得者。少々御合點不被遊候哉。仁は左樣にも可有之。禮は大事の物に候由。輕御挨拶被遊候。次に被仰候者保科肥後守殿御學問之筋者如何承候哉と被仰候間。

現代語訳

板倉内膳公に対し、法泉寺で拙者が御無礼をしたという沙汰があると、風聞に承りました。板倉公が御老中におなりになったころ、拙者の親が患っておりまして、まもなく亡くなりましたので、こちらからは、お目見えを申し上げておりません。忌中と忌明けを終えましても、たびたび御使者をくださり、そのつど念入りにお言葉をいただきましたが、忌明けののちも、拙者は病気のため、御礼にも参上しませんでした。翌年四月五日に、初めて御礼のため参上しましたが、そのときはお出かけで、お目にかかれませんでした。そののち、四月二十九日に、拙者の近所の法泉寺へお出でになるので、そこへ参上してお目にかかるようにと仰せ下されました。もっとも、誰もおらず、石谷市右衛門殿までお出でになっておりますので、ご閑談に参上しましたところ、ご自筆のお手紙をくださいました。それで、法泉寺へ伺候しました。拙者が参上したのち、板倉公がお出でになり、お迎えのため庭先まで出ました。ご着座ののち、敷居を隔てて、たびたび御使いをくださったことへのありがたさのお礼を申し上げました。すると、「そのようにきちんとされては、話しにくいので、他所や人の多いときはもっともだが、今日はいつものように中へ入って、遠慮なくお会いするように」と、再三お言葉をいただきましたので、お言葉をうかがい、恐れながらご一座へ入りました。ご同氏の石州公もお出でになり、料理をいただきました。小間のお座敷で、お話などがありました。板倉公が仰せになるには、「不徳の我らが大役を仰せ付けられ、ありがたく思うが、諸事が心もとなく思う。第一に、天下の政は何を専らにしたらよいかと思う」とのことでした。そこで、拙者ごとき凡下の者が、天下の御政道はこうあるべきなどと考えを申し上げてよいものかと思いました。自分なりの工夫はございません。古来、聖人の申し置かれたこととして、天下の政は仁を本にして、礼を行うまでだと申し伝えております、と申し上げましたところ、少し納得なさらなかったのか、「仁はそうもあろう。礼は大事なものだ」と軽いお返事でした。次に仰せになるには、「保科肥後守殿の学問の筋は、どのように聞いているか」とのことでしたので、

解説

ここから板倉内膳公との法泉寺での対面の記録に入ります。素行は、御無礼をしたという風聞に対して、経緯を細かく並べて答えます。親の病と死、忌明け後も病気で礼に行けなかったこと、翌年に初めて礼に参上したこと、法泉寺で敷居を隔てて礼を述べると、遠慮なく中へ入るよう再三言われたことが語られます。天下の政は何を専らにすべきかと問われ、素行は、仁を本にして礼を行うまでと聖人の教えを引きます。礼が大事だと軽く返される場面で、上の立場の問いにも自分の拠り所の言葉で答えている点が印象的です。上司に意見を求められた時、借り物でない基準を持っているかを考えさせます。次の段でも問答が続きます。

この章句が説くこと

仁礼政道対面問答配所残筆

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