潜夫論 / 本訓
上古之世,太素之時,元氣窈冥,未有形兆。萬精合並,混而為一,莫製莫禦,若斯久之,翻然自化,清濁分別,變成陰陽。陰陽有體,實生兩儀,天地壹鬱,萬物化淳,和氣生人,以統理之。是故天本諸陽,地本諸陰,人本中和。三才異務,相待而成,各循其道,和氣乃臻,璣衡乃平。天道日施,地道日化,人道日為。為者,蓋所謂感通陰陽而致珍異也。人行之動天地,譬猶車上御駟馬,蓬中擢舟船矣。雖為所覆載,然亦在我何所之可。孔子曰:「時乘六龍以禦天,言行,君子所以動天地也,可不慎乎?」從此觀之,天呈其兆,人序其勳。《書》故曰:「天功,人其代之。」如蓋理其政,以和天氣,以臻其功。是故道德之用,莫大於氣。道者之根也,氣所變也,神氣之所動也。
新字:上古之世,太素之時,元気窈冥,未有形兆。万精合並,混而為一,莫製莫禦,若斯久之,翻然自化,清濁分別,変成陰陽。陰陽有体,実生両儀,天地壱鬱,万物化淳,和気生人,以統理之。是故天本諸陽,地本諸陰,人本中和。三才異務,相待而成,各循其道,和気乃臻,璣衡乃平。天道日施,地道日化,人道日為。為者,蓋所謂感通陰陽而致珍異也。人行之動天地,譬猶車上御駟馬,蓬中擢舟船矣。雖為所覆載,然亦在我何所之可。孔子曰:「時乗六竜以禦天,言行,君子所以動天地也,可不慎乎?」従此観之,天呈其兆,人序其勲。《書》故曰:「天功,人其代之。」如蓋理其政,以和天気,以臻其功。是故道徳之用,莫大於気。道者之根也,気所変也,神気之所動也。
書き下し
上古の世、太素の時、元気窈冥にして、未だ形兆有らず。万精合并し、混じて一と為り、製する莫く禦する莫し。斯くの若くして之を久しくし、翻然として自ら化し、清濁分別し、変じて陰陽を成す。陰陽に体有りて、実に両儀を生じ、天地壹鬱として、万物化して淳く、和気人を生じ、以て之を統理す。是の故に天は諸れを陽に本づき、地は諸れを陰に本づき、人は中和に本づく。三才は務めを異にし、相い待ちて成り、各おの其の道に循えば、和気乃ち臻り、璣衡乃ち平らかなり。天道は日に施し、地道は日に化し、人道は日に為す。為すとは、蓋し所謂る陰陽に感通して珍異を致すなり。人の行いの天地を動かすは、譬えば猶お車上に四馬を御し、蓬中に舟船を擢するがごとし。覆載せらるる所と為ると雖も、然れども亦た我が何れの所に之くべきかに在り。孔子曰く、「時に六龍に乗りて以て天を御す」と。言行は、君子の天地を動かす所以なり、慎まざるべけんや。此れ従り観れば、天は其の兆を呈し、人は其の勲を序す。《書》に故に曰く、「天の功は、人其れ之に代わる」と。如し蓋し其の政を理めて以て天気を和し、以て其の功を臻さん。是の故に道徳の用は、気より大なるは莫し。道は之の根なり、気は変ずる所なり、神気の動かす所なり。
現代語訳
はるか昔の太素の時、元気は奥深く暗く、まだ形の兆しもありませんでした。もろもろの精が合わさって混ざり合い一つとなり、制するものも防ぐものもありませんでした。このようにして長い時が過ぎ、ふとおのずと変化し、清いものと濁ったものが分かれ、陰と陽になりました。陰陽に形ができ、そうして両儀(天地)が生まれ、天地の気が盛んに交わって、万物が変化して純粋になり、和の気が人を生み、これを統べ治めさせました。そのため天は陽に基づき、地は陰に基づき、人は中和に基づきます。天・地・人の三才は務めが異なりながら、互いに待ち合って成り立ち、それぞれの道に従えば、和の気がやって来て、璣衡(天体の運行)も平らかになります。天道は日々施し、地道は日々化し、人道は日々為します。為すとは、陰陽に感じ通じて珍しい吉兆を招くことをいいます。人の行いが天地を動かすさまは、たとえば車の上で四頭の馬を御し、蓬の茂みの中で舟を漕ぐようなものです。天地に覆われ載せられてはいても、どこへ向かうかは私の意志次第です。孔子は「時に六龍に乗って天を御す」と述べました。言行は、君子が天地を動かす手立てであり、慎まずにいられましょうか。ここから見れば、天は兆しを示し、人はその功を整えます。《書》にも「天の功を、人がこれに代わって行う」とあります。もしその政治を治めて天の気を和し、功を成し遂げようとするなら、道徳の用は気ほど大きいものはありません。道はその根であり、気は変化するもので、神気が動かすところです。
解説
この章句が説くこと
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