学問のすゝめ / 十二編・人の品行は高尚ならざるべからざるの論・医師の不養生、論語読みの論語知らず
畢竟この輩の学者といえども、その口に講じ、眼に見るところの事をばあえて非となすにはあらざれども、事物の是を是とするの心と、その是を是としてこれを事実に行なうの心とは、まったく別のものにて、この二つの心なるものあるいは並び行なわるることあり、あるいは並び行なわれざることあり。「医師の不養生」といい、「論語読みの論語知らず」という諺もこれらの謂ならん。ゆえにいわく、人の見識、品行は玄理を談じて高尚なるべきにあらず、また聞見を博くするのみにて、高尚なるべきにあらざるなり。
書き下し
畢竟この輩の学者といえども、その口に講じ、眼に見るところの事をばあえて非となすにはあらざれども、事物の是を是とするの心と、その是を是としてこれを事実に行なうの心とは、まったく別のものにて、この二つの心なるものあるいは並び行なわるることあり、あるいは並び行なわれざることあり。「医師の不養生」といい、「論語読みの論語知らず」という諺もこれらの謂ならん。ゆえにいわく、人の見識、品行は玄理を談じて高尚なるべきにあらず、また聞見を博くするのみにて、高尚なるべきにあらざるなり。
現代語訳
結局この輩の学者といっても、その口に講じ目に見るところの事をあえて非とするのではありませんが、事物の是を是とする心と、その是を是として実際に行う心とは、まったく別のもので、この二つの心はともに働くこともあり、ともに働かないこともあります。医師の不養生といい、論語読みの論語知らずという諺も、これらのことを言うのでしょう。ですから言います。人の見識や品行は、奥深い理を談じて高尚になるものではなく、また見聞を広くするだけで高尚になるものでもないのです。
解説
言行の不一致が、人格の欠陥ではなく心の働きの違いとして説明されます。正しいと認める心と、それを実行する心は別物で、そろうこともそろわないこともある、と。この見方は冷静で、責めるよりも仕組みを見る態度です。そして誰もが知る二つの諺が引かれて腑に落ちる形になり、二つの誤解の否定がここで確認されます。次の段でようやく積極的な答えが示されます。
この章句が説くこと
言行二心諺不一致構造
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『墨子』耕柱子墨子、駱滑氂に謂いて曰く、「我れ子の勇を好むと聞く」と。駱滑氂曰く、「然り。我れ其の鄉に勇士有りと聞かば、吾れ必ず従いて之を殺さん」と。子墨子曰く、「天下、其の好む所に與して、其の惡む所を奪わんと欲せざるは莫し。今、子、其の鄉に勇士有りと聞かば、必ず従いて之を殺さんとす。是れ勇を好むに非ざるなり、是れ勇を惡むなり」と。
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『墨子』耕柱子夏の徒、子墨子に問いて曰く、「君子に鬬有りや」と。子墨子曰く、「君子に鬭無し」と。子夏の徒曰く、「狗狶すら猶お鬬有り。惡んぞ士有りて鬬無からんや」と。子墨子曰く、「傷ましいかな。言えば則ち湯・文に稱し、行えば則ち狗狶に譬う。傷ましいかな」と。
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説苑・說叢君子の言は寡くして實あり、小人の言は多くして虛あり。君子の學や、耳に入り、心に藏し、之を行うに身を以てす。君子の治や、見るに足らざるに始まり、及ぶべからざるに終わる。君子は福を慮ること及ばず、禍を慮ること之を百にす。君子は人を擇びて取り、人を擇ばずして與う。君子は實なること虛の如く、有ること無きが如し。
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