潜夫論 / 交際
治賈一倍以相高,苟能富貴,雖積狡惡,爭稱譽之,終不見非。苟處貧賤,恭謹秪為不肖,終不見是。此俗化之所以浸敗,而禮義之所以消衰也。
新字:治賈一倍以相高,苟能富貴,雖積狡悪,争称誉之,終不見非。苟処貧賤,恭謹秪為不肖,終不見是。此俗化之所以浸敗,而礼義之所以消衰也。
書き下し
賈を治めて一倍し以て相い高ぶり、苟くも能く富貴なれば、狡悪を積むと雖も、争いて之を称誉して、終に非とせられず。苟くも貧賤に処れば、恭謹なるも秪だ不肖と為され、終に是とせられず。此れ俗化の浸く敗れ、礼義の消え衰うる所以なり。
現代語訳
商売をして元手を倍にして誇り合い、ひとたび富貴になれば、ずる賢さや悪事を重ねていても、みなが争ってほめたたえ、ついに非難されません。ひとたび貧賤の身になれば、慎み深くつつしんでいても、ただ不肖者とされ、ついに認められません。これこそが世の風俗が次第に崩れ、礼義が消え衰える理由です。
解説
短い一段ですが、王符は世間の評価が富貴かどうかだけで決まっている現状を端的に批判しています。商売で財を倍にして誇る者は、狡猾さや悪事を重ねても称賛され、貧賤の者は恭謹でも不肖者として扱われます。こうした価値の転倒が、礼義の衰えと風俗の荒廃を招くという診断です。現代の組織でも、成果の数字や肩書が大きい人の振る舞いは、多少の問題があっても見逃されがちです。逆に、地味でも誠実な人は評価の表に出にくいことがあります。評価制度を設計する側は、結果だけでなく過程や人柄をどう見るかを明確にしておく必要があるでしょう。
この章句が説くこと
交際風俗礼義評価富貴潜夫論
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