潜夫論 / 交際
世有可患者三,三者何?曰:情實薄而辭稱厚,念實忽而文想憂,懷不來而外克期。不信,則懼失賢;信之,則詿誤人。此俗世可厭之甚者也。是故孔子疾夫言之過其行者。詩「傷蛇蛇碩言,出自口矣。巧言如簧,顏之厚矣」。今世俗之交也,未相照察而求深固,探懷扼腕,拊心祝詛,苟欲相護,論議而已。分背之日,既得之後,則相棄忘。或受人恩德,先以濟度,不能拔舉,則因毀之,為生瑕釁,明言我不遺力,無奈自不可爾。詩云:「知我如此,不如無生。」先合而後忤,有初而無終,不若本無生意,強自誓也。君子屢盟,亂是用長,大人之道,周而不比,微言相感,掩若同符,又焉用盟?孔子恂恂似不能言者,又稱「紘紘言惟謹也。」士貴有辭,亦憎多口。故曰:「文質彬彬,然後君子。與其不忠,剛毅木訥,尚近於仁。」
新字:世有可患者三,三者何?曰:情実薄而辞称厚,念実忽而文想憂,懐不来而外克期。不信,則懼失賢;信之,則詿誤人。此俗世可厭之甚者也。是故孔子疾夫言之過其行者。詩「傷蛇蛇碩言,出自口矣。巧言如簧,顔之厚矣」。今世俗之交也,未相照察而求深固,探懐扼腕,拊心祝詛,苟欲相護,論議而已。分背之日,既得之後,則相棄忘。或受人恩徳,先以済度,不能抜舉,則因毀之,為生瑕釁,明言我不遺力,無奈自不可爾。詩云:「知我如此,不如無生。」先合而後忤,有初而無終,不若本無生意,強自誓也。君子屡盟,乱是用長,大人之道,周而不比,微言相感,掩若同符,又焉用盟?孔子恂恂似不能言者,又称「紘紘言惟謹也。」士貴有辞,亦憎多口。故曰:「文質彬彬,然後君子。与其不忠,剛毅木訥,尚近於仁。」
書き下し
世に患うべき者三つ有り。三者は何ぞ。曰く、情は実に薄くして辞は厚きに称い、念は実に忽にして文は憂うるを想い、懐は来らずして外は期を克む。信ぜざれば則ち賢を失わんことを懼れ、之を信ずれば則ち人を詿誤す。此れ俗世の厭うべきの甚だしき者なり。是の故に孔子は夫の言の其の行いに過ぐる者を疾む。詩に「傷蛇蛇たる碩言、口より出づ。巧言簧の如く、顔の厚きなり」と。今の世俗の交わりや、未だ相い照察せずして深固を求め、懐を探り腕を扼し、心を拊ち祝詛し、苟くも相い護らんと欲するも、論議するのみ。分背の日、既に得たるの後は、則ち相い棄て忘る。或いは人の恩徳を受け、先に以て済度するも、抜き挙ぐる能わざれば、則ち因りて之を毀り、為に瑕釁を生じ、明言す、我は力を遺さざるも、奈何ともする無し、自ら不可なるのみ、と。詩に云う、「我を知ること此くの如くんば、生まるる無きに如かず」と。先に合いて後に忤い、初め有りて終わり無きは、本より生意無く、強いて自ら誓うに若かず。君子屢しば盟えば、乱是を用て長ず。大人の道は、周して比せず、微言相い感じ、掩うこと符を同じくするが若し。又た焉んぞ盟を用いん。孔子は恂恂として言う能わざる者に似たり。又た「紘紘として言うこと惟れ謹む」と称す。士は辞有るを貴ぶも、亦た多口を憎む。故に曰く、「文質彬彬として、然る後に君子なり。其の不忠ならんよりは、剛毅木訥は、尚お仁に近し」と。
現代語訳
世には憂えるべきことが三つあります。何かといえば、心は実のところ薄いのに言葉は厚く装い、思いは実のところ軽いのに文面では心配しているように見せ、胸に来る気もないのに外では約束の期日を定める、ということです。信じなければ賢者を失うのではと恐れ、信じれば人を誤らせます。これは俗世の中でもとりわけ嫌なことです。だから孔子は、言葉がその行いを超える者を憎みました。《詩》に「大げさな大言が口から出る。巧みな言葉は笙の簧のよう、顔の厚いことよ」とあります。今の世俗の交わりは、まだ互いをよく知らないのに深く固い仲を求め、胸襟を開き腕を握り、胸を叩いて誓い、守り合おうとしても、話し合うだけです。別れる日や、望みを得た後には、互いに捨てて忘れます。人の恩徳を受け、先に助けてもらいながら、引き上げることができないと、かえってその人を悪く言い、きずを作って、「私は力を尽くしたが、どうにもならなかった、本人がだめなのだ」とはっきり言います。《詩》に「私をこんなふうに知るのなら、生まれなかったほうがよい」とあります。先に合っておきながら後でそむき、始めはあっても終わりがないなら、はじめから交わる気持ちがないほうが、無理に自分に誓うよりましです。君子がたびたび盟えば、乱れはそのために長引きます。徳ある人の道は、広く交わりつつ偏らず、わずかな言葉で通じ合い、割符が合うように一致します。どうして盟約が要るでしょうか。孔子はつつしみ深く、話すのが苦手な人のようでした。また「声高にではなく、ただ慎んで話す」とも称えられています。士は言葉が巧みなことを貴びますが、口数が多いことは憎みます。だから「文と質がほどよく備わって初めて君子である。不忠であるよりは、剛毅で朴訥なほうが仁に近い」というのです。
解説
この章句が説くこと
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