潜夫論 / 交際
非獨朋友為然,君臣夫婦亦猶是也。當其歡也,父子不能間;及其乖也,怨仇不能先。是故聖人常慎微以敦其終。富貴未必可重,貧賤未必可輕。人心不同好,度量相萬億。許由讓其帝位,俗人有爭縣職。孟軻辭祿萬鍾,小夫貪於升食。故曰:鶉鷃群遊,終日不休,亂舉聚跱,不離蒿茆。鴻鵠高飛,雙別乖離,通千達萬,志在陂池。鸞鳳翱翔黃曆之上,徘徊太清之中,隨景風而飄颻,時抑揚以從容,意猶未得,喈喈然長鳴,蹶號振翼,陵朱雲,薄鬥極,呼吸陽露,曠旬不食,其意尚猶嗛嗛如也。三者殊務,各安所為。是以伯夷采薇而不恨,巢父木棲而自願。由斯觀諸士之志量固難測度。凡百君子,未可以富貴驕貧賤,謂貧賤之必我屈也。
新字:非独朋友為然,君臣夫婦亦猶是也。当其歓也,父子不能間;及其乖也,怨仇不能先。是故聖人常慎微以敦其終。富貴未必可重,貧賤未必可軽。人心不同好,度量相万億。許由譲其帝位,俗人有争県職。孟軻辞禄万鍾,小夫貪於升食。故曰:鶉鷃群遊,終日不休,乱舉聚跱,不離蒿茆。鴻鵠高飛,双別乖離,通千達万,志在陂池。鸞鳳翱翔黄暦之上,徘徊太清之中,随景風而飄颻,時抑揚以従容,意猶未得,喈喈然長鳴,蹶号振翼,陵朱雲,薄鬥極,呼吸陽露,曠旬不食,其意尚猶嗛嗛如也。三者殊務,各安所為。是以伯夷采薇而不恨,巣父木棲而自願。由斯観諸士之志量固難測度。凡百君子,未可以富貴驕貧賤,謂貧賤之必我屈也。
書き下し
独り朋友のみ然りと為すに非ず、君臣・夫婦も亦た猶お是くのごとし。其の歓ぶに当たりては、父子も間つる能わず、其の乖くに及びては、怨仇も先んずる能わず。是の故に聖人は常に微を慎み以て其の終わりを敦くす。富貴は未だ必ずしも重んずべからず、貧賤は未だ必ずしも軽んずべからず。人心は好みを同じくせず、度量は相い万億なり。許由は其の帝位を譲り、俗人は県職を争う有り。孟軻は禄万鍾を辞し、小夫は升食に貪る。故に曰く、鶉・鷃は群れ遊び、終日休まず、乱れ挙がり聚まり跱まり、蒿茆を離れず。鴻鵠は高く飛び、双びて別れ乖離し、千を通じ万に達して、志は陂池に在り。鸞鳳は黄曆の上に翱翔し、太清の中に徘徊し、景風に随いて飄颻し、時に抑揚して以て従容たり、意猶お未だ得ざるがごとく、喈喈然として長鳴し、蹶号し翼を振るい、朱雲を陵ぎ、斗極に薄り、陽露を呼吸し、旬を曠しくして食わず、其の意は尚お猶お嗛嗛如たり。三者は務めを殊にし、各おの為す所に安んず。是を以て伯夷は薇を采りて恨みず、巣父は木に棲みて自ら願う。斯れ由り諸れを観れば、士の志量は固より測度し難し。凡百の君子、未だ富貴を以て貧賤に驕り、貧賤の必ず我に屈すと謂うべからず。
現代語訳
友人どうしだけがそうなのではなく、君臣や夫婦も同じです。仲がよいときには、父子でも割って入れず、仲が悪くなれば、仇敵でもそれに先んじることはできません。だから聖人は常に小さなことを慎み、終わりまで厚い関係を保ちます。富貴だからといって必ずしも重んじるべきではなく、貧賤だからといって必ずしも軽んじてはなりません。人の心は好みが同じでなく、度量の差は万億倍にもなります。許由は帝位を譲りましたが、俗人は県の小さな職を争います。孟軻は万鍾の俸禄を辞しましたが、小人はわずかな食い扶持を貪ります。だからこう言います。ウズラやヒメウズラは群れて遊び、一日中休まず、乱れ飛び集まり止まり、よもぎや茅の茂みを離れません。白鳥や雁は高く飛び、つがいでも別れて離れ、千里万里を行き、志は大きな池や沢にあります。鸞や鳳は黄曆の上を舞い、天の中をさまよい、そよ風に従ってゆらゆらと飛び、時に高く低く悠然とし、思いがまだ満たされないかのように、声高く長く鳴き、翼を振るい、赤い雲を越え、北斗に迫り、朝露を吸い、十日を空しく過ごしても食べず、その思いはなお満たされぬ様子です。この三つは務めが異なり、それぞれの在り方に安んじています。だから伯夷は薇を摘んでも恨まず、巣父は木に棲んで自ら望んだのです。ここから見れば、士の志や器量は、もとより測りがたいものです。すべての君子は、富貴を鼻にかけて貧賤の人を見下し、貧賤の人が必ず自分に屈すると思ってはなりません。
解説
この章句が説くこと
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