潜夫論 / 交際
俗士淺短,急於目前,見赴有益,則先至,顧無用,則後背。是以欲速之徒,競推上而不暇接下,爭逐前而不遑恤後。是故韓安國能遺田蚡五百金,而不能賑一窮;翟方進稱淳于長,而不能薦一士。夫安國、方進,前世之忠良也,而猶若此,則又況乎末塗之下相哉?此奸雄所以逐黨進,而處子所以愈擁蔽也。非明聖之君,孰能照察?且夫怨惡之生,若二人偶焉。苟相對也,恩情相向,推極其意,精誠相射,貫心達髓,愛樂之隆,輕相為死。是故侯生豫子刎頸而不恨。苟相背也,心情乖牙,推極其意,分背奔馳,窮東極西,心尚未決。是故陳餘張耳,老相全滅,而無感痛。從此觀之,交際之理,其情大矣。
新字:俗士浅短,急於目前,見赴有益,則先至,顧無用,則後背。是以欲速之徒,競推上而不暇接下,争逐前而不遑恤後。是故韓安国能遺田蚡五百金,而不能賑一窮;翟方進称淳于長,而不能薦一士。夫安国、方進,前世之忠良也,而猶若此,則又況乎末塗之下相哉?此奸雄所以逐党進,而処子所以愈擁蔽也。非明聖之君,孰能照察?且夫怨悪之生,若二人偶焉。苟相対也,恩情相向,推極其意,精誠相射,貫心達髄,愛楽之隆,軽相為死。是故侯生予子刎頸而不恨。苟相背也,心情乖牙,推極其意,分背奔馳,窮東極西,心尚未決。是故陳余張耳,老相全滅,而無感痛。従此観之,交際之理,其情大矣。
書き下し
俗士は浅短にして、目前に急なり。赴くに益有るを見れば則ち先に至り、顧みて用無ければ則ち後に背く。是を以て速やかならんと欲するの徒は、上を推すに競いて下に接するに暇あらず、前を逐うに争いて後を恤うるに遑あらず。是の故に韓安国は能く田蚡に五百金を遺るも、一人の窮を賑わす能わず。翟方進は淳于長を称するも、一士を薦むる能わず。夫れ安国・方進は、前世の忠良なり。而るに猶お此くの若し。則ち又況んや末塗の下相をや。此れ奸雄の党を逐いて進み、処子の愈いよ擁蔽せらるる所以なり。明聖の君に非ざれば、孰か能く照察せん。且つ夫れ怨悪の生ずるは、二人の偶するが若し。苟くも相い対すれば、恩情相い向かい、其の意を推極し、精誠相い射し、心を貫き髄に達し、愛楽の隆んなること、軽々しく相い為に死す。是の故に侯生・豫子は頸を刎ねて恨みず。苟くも相い背けば、心情は乖牙し、其の意を推極し、分背して奔馳し、東を窮め西を極むるも、心尚お未だ決せず。是の故に陳餘・張耳は、老いて相い全滅して、感痛する無し。此れ従り観れば、交際の理、其の情大なり。
現代語訳
俗世の士は浅はかで目先のことばかり急ぎます。行けば得になると見れば先に駆けつけ、振り返って役に立たないと見れば後ろを向いて離れます。そのため出世を急ぐ者たちは、上の者を持ち上げるのに忙しく下の者と接する暇がなく、前の者を追うのに争って後ろの者を思いやる余裕がありません。だから韓安国は田蚡に五百金を贈れても、困窮した一人を救えず、翟方進は淳于長をほめても、一人の士を推薦できませんでした。安国も方進も前の時代の忠良な人物です。それでもこのようなのですから、末の世の下役はなおさらです。これが奸雄が徒党を追って進み、在野の士がますます押さえ込まれる理由です。聡明な君主でなければ、誰がこれを見抜けるでしょうか。そもそも怨みや憎しみが生まれるのは、二人が組になっているようなものです。向かい合えば、恩情が互いに向かい、思いを極め、誠意が互いに射し合い、心を貫き骨髄に達し、愛楽が盛んになって、軽々しく相手のために死にます。だから侯生や豫子は首をはねられても恨みませんでした。背き合えば、心情はくいちがい、思いを極めて別々に走り、東の果て西の果てまで行っても、気持ちはなお決まりません。だから陳餘と張耳は、老いてから互いに滅ぼし合い、痛みを感じませんでした。こうして見ると、交際の道理には、人情の大きなはたらきがあります。
解説
この章句が説くこと
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