潜夫論 / 釋難
秦子問於潛夫曰:「耕種,生之本也;學問,業之末也。老聃有言:『大丈夫處其實,不居其華。』而孔子曰:『耕也,餒在其中;學也,祿在其中。』敢問今使舉世之人釋耨耒,而程相群於學,何如?」潛夫曰:善哉問!君子勞心,小人勞力,故孔子所稱,謂君子爾。今以目所見,耕,食之本也;以心原道,即學又耕之本也。《易》曰:「立天之道,曰陰與陽;立地之道,曰柔與剛;立人之道,曰仁與義。」夫反德者為災。潛夫曰:嗚呼!而未此察乎?吾語子。夫君子也者,其賢宜君國,而德宜子民也。宜處此位者,唯仁義人。故有仁義者,謂之君子。昔荀子有言,夫仁也者愛人,愛人故不忍危也;義也者聚人,聚人故不忍亂也。是故君子夙夜箴規,蹇蹇匪懈者,憂君之危亡,哀民之亂離也。
新字:秦子問於潜夫曰:「耕種,生之本也;学問,業之末也。老聃有言:『大丈夫処其実,不居其華。』而孔子曰:『耕也,餒在其中;学也,禄在其中。』敢問今使舉世之人釈耨耒,而程相群於学,何如?」潜夫曰:善哉問!君子労心,小人労力,故孔子所称,謂君子爾。今以目所見,耕,食之本也;以心原道,即学又耕之本也。《易》曰:「立天之道,曰陰与陽;立地之道,曰柔与剛;立人之道,曰仁与義。」夫反徳者為災。潜夫曰:嗚呼!而未此察乎?吾語子。夫君子也者,其賢宜君国,而徳宜子民也。宜処此位者,唯仁義人。故有仁義者,謂之君子。昔荀子有言,夫仁也者愛人,愛人故不忍危也;義也者聚人,聚人故不忍乱也。是故君子夙夜箴規,蹇蹇匪懈者,憂君之危亡,哀民之乱離也。
書き下し
秦子潜夫に問いて曰く、「耕種は、生の本なり。学問は、業の末なり。老聃に言有り、『大丈夫は其の実に処り、其の華に居らず』と。而して孔子曰く、『耕すや、餒え其の中に在り。学ぶや、禄其の中に在り』と。敢えて問う、今世を挙げての人をして耨耒を釈てしめ、而して群れて学に程相せしめば、何如」と。潜夫曰く、善きかな問いや。君子は心を労し、小人は力を労す、故に孔子の称する所は、君子を謂うのみ。今目の見る所を以てすれば、耕は、食の本なり。心を以て道を原ぬれば、即ち学も又耕の本なり。『易』に曰く、「天の道を立つ、陰と陽と曰う。地の道を立つ、柔と剛と曰う。人の道を立つ、仁と義と曰う」と。夫れ徳に反する者は災いを為す。潜夫曰く、嗚呼、而未だ此を察せざるか。吾れ子に語げん。夫れ君子なる者は、其の賢は宜しく国に君たるべく、而して徳は宜しく民に子たるべし。宜しく此の位に処る者は、唯だ仁義の人のみ。故に仁義有る者は、之を君子と謂う。昔荀子に言有り、夫れ仁なる者は人を愛す、人を愛す故に危うきを忍びず。義なる者は人を聚む、人を聚む故に乱るるを忍びず、と。是の故に君子は夙夜箴規し、蹇蹇として懈るに匪ざるは、君の危亡を憂い、民の乱離を哀しめばなり。
現代語訳
秦子が潜夫に尋ねました。「耕作は生活の本であり、学問は仕事の末です。老聃は『大丈夫はその実に身を置き、その華にはいない』と言いました。また孔子は『耕しても飢えることがあり、学べば禄がその中にある』と言いました。おたずねしますが、いま世の中のすべての人が農具を捨て、群れて学問に励むようになれば、どうでしょうか。」潜夫は答えました。よい質問です。君子は心を労し、小人は力を労します。だから孔子が言ったのは、君子のことです。いま目に見えるところから言えば、耕作は食の本です。しかし心で道をたずねれば、学問もまた耕作の本です。『易』に、「天の道を立てる、それを陰と陽という。地の道を立てる、それを柔と剛という。人の道を立てる、それを仁と義という」とあります。徳に背く者は災いを起こします。潜夫は言いました。ああ、あなたはまだこれを察していないのですね。あなたに話しましょう。君子とは、その賢さは国に君として臨むにふさわしく、その徳は民を子のように慈しむにふさわしい者です。この位にふさわしいのは、仁義の人だけです。だから仁義のある者を君子と呼びます。昔、荀子は言いました。仁とは人を愛することで、人を愛するのでその危うきを見過ごせない。義とは人を集めることで、人を集めるのでその乱れを見過ごせない、と。だから君子は朝夕に諫め正し、誠実に怠らないのは、君の危亡を憂い、民の乱離を悲しむからです。
解説
この章句が説くこと
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