格言聯璧 / 接物類・君子の議論を聞くは苦茗を啜るが如し
聞君子議論,如啜苦茗;森嚴之後,甘芳溢頰。 聞小人諂笑,如嚼糖霜;爽美之後,寒冱凝胸。 凡為外所勝者,皆內不足。凡為邪所奪者,皆正不足。
新字:聞君子議論,如啜苦茗;森厳之後,甘芳溢頬。 聞小人諂笑,如嚼糖霜;爽美之後,寒冱凝胸。 凡為外所勝者,皆内不足。凡為邪所奪者,皆正不足。
書き下し
君子の議論を聞くは、苦茗を啜るが如し、森嚴の後に、甘芳頰に溢る。 小人の諂笑を聞くは、糖霜を嚼むが如し、爽美の後に、寒冱胸に凝る。 凡そ外の勝つ所と爲る者は、皆內足らず。凡そ邪の奪ふ所と爲る者は、皆正足らず。
現代語訳
君子の議論を聞くのは、苦いお茶をすするようなものです。厳しい苦さの後に、甘い香りが頰いっぱいに広がります。 小人のへつらい笑いを聞くのは、砂糖菓子をかむようなものです。さわやかな甘さの後に、冷たいものが胸に凍りつきます。 およそ外のものに負ける者は、みな内が足りないのです。およそ邪なものに心を奪われる者は、みな正しさが足りないのです。
解説
前の対句は、君子の言葉と小人の言葉を、苦い茶と砂糖菓子の味わいにたとえた見事な句です。君子の議論は初めは厳しく耳に痛いが、後から甘い余韻が残る。小人のへつらいは初めは心地よいが、後から胸が冷える。良薬は口に苦しという言葉と同じ構図を、茶の味わいで描いたところに風雅があります。糖霜は砂糖、寒冱は凍りつく寒さのことです。後の対句は、外の誘惑に負けるのは内が足りないから、邪に奪われるのは正が足りないからと、原因を自分の内側に求めます。耳に痛い言葉を避け、心地よい言葉ばかりを求めてしまうのも、内の不足の表れかもしれません。苦い言葉の後の甘さを味わえる人でありたいものです。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
諫言君子小人接物修身
関連する章句
-
『潜夫論』釋難秦子潜夫に問いて曰く、「耕種は、生の本なり。学問は、業の末なり。老聃に言有り、『大丈夫は其の実に処り、其の華に居らず』と。而して孔子曰く、『耕すや、餒え其の中に在り。学ぶや、禄其の中に在り』と。敢えて問う、今世を挙げての人をして耨耒を釈てしめ、而して群れて学に程相せしめば、何如」と。潜夫曰く、善きかな問いや。君子は心を労し、小人は力を労す、故に孔子の称する所は、君子を謂うのみ。今目の見る所を以てすれば、耕は、食の本なり。心を以て道を原ぬれば、即ち学も又耕の本なり。『易』に曰く、「天の道を立つ、陰と陽と曰う。地の道を立つ、柔と剛と曰う。人の道を立つ、仁と義と曰う」と。夫れ徳に反する者は災いを為す。潜夫曰く、嗚呼、而未だ此を察せざるか。吾れ子に語げん。夫れ君子なる者は、其の賢は宜しく国に君たるべく、而して徳は宜しく民に子たるべし。宜しく此の位に処る者は、唯だ仁義の人のみ。故に仁義有る者は、之を君子と謂う。昔荀子に言有り、夫れ仁なる者は人を愛す、人を愛す故に危うきを忍びず。義なる者は人を聚む、人を聚む故に乱るるを忍びず、と。是の故に君子は夙夜箴規し、蹇蹇として懈るに匪ざるは、君の危亡を憂い、民の乱離を哀しめばなり。
-
言志四録・言志録 第七十条 諫めは誠意に在り凡そ人を諫めんと欲するには、唯だ一団の誠意の言に溢るる有るのみ。苟くも一忿疾の心を挟まば、諫め決して入らず。
-
葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
-
『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
-
史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
-
『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。