潜夫論 / 夢列
凡夢,有直、有象、有精、有想、有人、有感、有時、有反、有病、有性。在昔武王,邑薑方震太叔,夢帝謂己:「命爾子虞而與之唐。」及生,手掌曰虞,因以為名。成王滅唐,遂以封之。此謂直應之夢也。詩雲:「惟熊惟羆,男子之祥;惟虺惟蛇,女子之祥。」「眾惟魚矣,實惟豐年;惟旄矣,室家蓁蓁。」此謂象之夢也。孔子生於亂世,日思周公之德,夜即夢之。此謂意精之夢也。人有所思,即夢其到;有憂,即夢其事。此謂記想之夢也。今事,貴人夢之即為祥,賤人夢之即為妖;君子夢之即為榮,小人夢之即為辱。此謂人位之夢也。晉文公於城濮之戰,夢楚子伏己而盬其腦,是大惡也。及戰,乃大勝。此謂極反之夢也。陰雨之夢使人厭迷,陽旱之夢使人亂離,大寒之夢使人怨悲,大風之夢使人飄飛。此謂感氣之夢也。
新字:凡夢,有直、有象、有精、有想、有人、有感、有時、有反、有病、有性。在昔武王,邑薑方震太叔,夢帝謂己:「命爾子虞而与之唐。」及生,手掌曰虞,因以為名。成王滅唐,遂以封之。此謂直応之夢也。詩雲:「惟熊惟羆,男子之祥;惟虺惟蛇,女子之祥。」「衆惟魚矣,実惟豊年;惟旄矣,室家蓁蓁。」此謂象之夢也。孔子生於乱世,日思周公之徳,夜即夢之。此謂意精之夢也。人有所思,即夢其到;有憂,即夢其事。此謂記想之夢也。今事,貴人夢之即為祥,賤人夢之即為妖;君子夢之即為栄,小人夢之即為辱。此謂人位之夢也。晋文公於城濮之戦,夢楚子伏己而盬其脳,是大悪也。及戦,乃大勝。此謂極反之夢也。陰雨之夢使人厭迷,陽旱之夢使人乱離,大寒之夢使人怨悲,大風之夢使人飄飛。此謂感気之夢也。
書き下し
凡そ夢には、直有り、象有り、精有り、想有り、人有り、感有り、時有り、反有り、病有り、性有り。昔、武王に在りて、邑姜方に太叔を震み、帝己に謂うを夢む、「爾の子に命じて虞とし、之に唐を与えん」と。生まるるに及び、手の掌に虞と曰う有り、因りて以て名と為す。成王唐を滅ぼし、遂に以て之を封ず。此れ直応の夢と謂う。詩に云う、「惟れ熊、惟れ羆は、男子の祥、惟れ虺、惟れ蛇は、女子の祥」と。「衆は惟れ魚なり、実に惟れ豊年、旐は惟れ旄なり、室家蓁蓁たり」と。此れ象の夢と謂う。孔子は乱世に生まれ、日に周公の徳を思い、夜に即ち之を夢む。此れ意精の夢と謂う。人思う所有れば、即ち其の到るを夢み、憂い有れば、即ち其の事を夢む。此れ記想の夢と謂う。今事に、貴人之を夢むれば即ち祥と為り、賤人之を夢むれば即ち妖と為る、君子之を夢むれば即ち栄と為り、小人之を夢むれば即ち辱と為る。此れ人位の夢と謂う。晋の文公、城濮の戦に、楚子己に伏して其の脳を盬うを夢む、是れ大悪なり。戦うに及び、乃ち大いに勝つ。此れ極反の夢と謂う。陰雨の夢は人をして厭迷せしめ、陽旱の夢は人をして乱離せしめ、大寒の夢は人をして怨悲せしめ、大風の夢は人をして飄飛せしむ。此れ感気の夢と謂う。
現代語訳
およそ夢には、直、象、精、想、人、感、時、反、病、性の十種があります。昔、武王のとき、邑姜がちょうど太叔を身ごもっていたころ、夢に天帝が現れて、「おまえの子に虞と名づけ、唐の地を与えよう」と告げました。生まれてみると手のひらに虞という文字があり、それを名としました。成王が唐を滅ぼしたときに、その子を唐に封じました。これを直応の夢といいます。詩に、「熊と羆は男の子の吉兆、まむしと蛇は女の子の吉兆」とあり、「魚が群れるのは豊年のしるし、旐が旄になるのは家の栄えるしるし」ともあります。これを象の夢といいます。孔子は乱世に生まれ、昼に周公の徳を思い、夜にその夢を見ました。これを意精の夢といいます。人は思うことがあればその人が来る夢を見、憂いがあればその事の夢を見ます。これを記想の夢といいます。また、同じ夢でも、身分の高い人が見れば吉兆、低い人が見れば凶兆であり、君子が見れば栄え、小人が見れば辱めとなります。これを人位の夢といいます。晋の文公は城濮の戦いのとき、楚の君が自分の上に伏して脳を吸う夢を見ました。これはひどく悪い夢ですが、戦ってみると大勝しました。これを極反の夢といいます。長雨の夢は人を悩ませ迷わせ、日照りの夢は人を乱れ離れさせ、大寒の夢は人に恨みや悲しみを抱かせ、大風の夢は人を飛び舞わせます。これを感気の夢といいます。
解説
この章句が説くこと
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