都鄙問答 / 卷之四・或人天地開闢ノ說ヲ譏ノ段
其繼グ者ヲ知リ得レバ、忽ニ疑ヒハ晴ル者ナリ、天地未闢ノ說、又天ハ子ニ闢ケ、地ハ丑ニ闢ケ、人ハ寅ニ生ルナドノ說モ、怪ニ似タレドモ、皆々當ル所アリ、夫ヲ辭ニ泥コト有テハ、書ハ見ヘザル者ナリ、易ノ卦ヲ以テ、配月シテ云フ時ハ、十月純陰ナリ、十一月冬至ノ日、一陽來復スルトイヘドモ、天地ノ間ニ、何方ヲ見レバトテ、是ニ一陽來レリトモ見ヘズ、初陽ハ潛カクルヽユヘニ、見ヘズト云ハヾ、正月ニハ三陽生ジテ、花咲鳥鳴トイヘドモ、其體ハ見ヘズ、又乾ハ龍トナシ、坤ハ牝馬トナシ、陰陽ヲ龍ト馬トニ喩、是モ文字ニ泥、陰陽ハ直ニ龍馬ナリト云ベキヤ、周公旦ノ譬ハ疑ハズ、親王ノ譬ヘニ、狀葦牙ノ如シト說玉フコトヲ疑フハ、
新字:其継グ者ヲ知リ得レバ、忽ニ疑ヒハ晴ル者ナリ、天地未闢ノ説、又天ハ子ニ闢ケ、地ハ丑ニ闢ケ、人ハ寅ニ生ルナドノ説モ、怪ニ似タレドモ、皆々当ル所アリ、夫ヲ辞ニ泥コト有テハ、書ハ見ヘザル者ナリ、易ノ卦ヲ以テ、配月シテ云フ時ハ、十月純陰ナリ、十一月冬至ノ日、一陽来復スルトイヘドモ、天地ノ間ニ、何方ヲ見レバトテ、是ニ一陽来レリトモ見ヘズ、初陽ハ潜カクルヽユヘニ、見ヘズト云ハヾ、正月ニハ三陽生ジテ、花咲鳥鳴トイヘドモ、其体ハ見ヘズ、又乾ハ竜トナシ、坤ハ牝馬トナシ、陰陽ヲ竜ト馬トニ喩、是モ文字ニ泥、陰陽ハ直ニ竜馬ナリト云ベキヤ、周公旦ノ譬ハ疑ハズ、親王ノ譬ヘニ、状葦牙ノ如シト説玉フコトヲ疑フハ、
書き下し
其の継ぐ者を知り得れば、忽ちに疑ひは晴るる者なり。天地未だ闢けずの説、又天は子に闢け、地は丑に闢け、人は寅に生るなどの説も、怪しきに似たれども、皆々当る所あり。夫を辞に泥むこと有りては、書は見へざる者なり。易の卦を以て、月に配して云ふ時は、十月は純陰なり。十一月冬至の日、一陽来復するといへども、天地の間に、何方を見ればとて、是に一陽来れりとも見へず。初陽は潜みかくるるゆへに、見へずと云はば、正月には三陽生じて、花咲き鳥鳴くといへども、其の体は見へず。又乾は龍となし、坤は牝馬となし、陰陽を龍と馬とに喩ふ。是も文字に泥み、陰陽は直に龍馬なりと云ふべきや。周公旦の譬へは疑はず、親王の譬へに、状葦牙の如しと説き玉ふことを疑ふは、
現代語訳
その受け継がれているものを知ることができれば、たちまち疑いは晴れます。天地がまだ開けなかったという説や、天は子の刻に開け、地は丑に開け、人は寅に生まれたという説も、怪しく見えますが、どれも当たるところがあります。それを言葉に拘泥していては、書は読めません。易の卦を月に当てはめて言えば、十月は純陰です。十一月の冬至の日に一陽来復するといっても、天地のどこを見ても、ここに一陽が来たとは見えません。初めの陽は潜んで隠れているから見えないと言うなら、正月には三陽が生じて花が咲き鳥が鳴くといっても、その陽そのものは見えません。また乾を龍とし、坤を牝馬として、陰陽を龍と馬にたとえます。これも文字に拘泥して、陰陽はそのまま龍や馬だと言うべきでしょうか。周公旦のたとえは疑わず、親王が『形は葦の芽のようだ』と説かれたことを疑うのは、
解説
この章句が説くこと
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