潜夫論 / 正列
凡人吉凶,以行為主,以命為決。行者,己之質也;命者,天之製也。在於己者,固可為也;在於天者,不可知也。巫覡祝請,亦其助也,然非德不行。巫史祈祝者,蓋所以交鬼神而救細微爾。至於大命,末如之何,譬民人之請謁於吏矣,可以解微過,不能脫正罪。設有人於此,晝夜慢侮君父之教,幹犯先王之禁,不克己心,思改過善,而苟驟發請謁,以求解免,必不幾矣。不若修己,小心畏慎,無犯上之必令也。故孔子不聽子路,而雲:「丘之禱久矣。」《孝經》雲:「夫然,故生則親安之,祭則鬼享之。」由此觀之,德義無違,神乃享;鬼神受享,福祚乃隆。故詩雲:「降福禳禳,降福簡簡,威儀板板,既醉既飽,福祿來反。」此言人德義茂美,神歆享醉飽,乃反報之以福也。
新字:凡人吉凶,以行為主,以命為決。行者,己之質也;命者,天之製也。在於己者,固可為也;在於天者,不可知也。巫覡祝請,亦其助也,然非徳不行。巫史祈祝者,蓋所以交鬼神而救細微爾。至於大命,末如之何,譬民人之請謁於吏矣,可以解微過,不能脱正罪。設有人於此,昼夜慢侮君父之教,幹犯先王之禁,不克己心,思改過善,而苟驟発請謁,以求解免,必不幾矣。不若修己,小心畏慎,無犯上之必令也。故孔子不聴子路,而雲:「丘之祷久矣。」《孝経》雲:「夫然,故生則親安之,祭則鬼享之。」由此観之,徳義無違,神乃享;鬼神受享,福祚乃隆。故詩雲:「降福禳禳,降福簡簡,威儀板板,既酔既飽,福禄来反。」此言人徳義茂美,神歆享酔飽,乃反報之以福也。
書き下し
凡そ人の吉凶は、行を以て主と為し、命を以て決と為す。行なる者は、己の質なり。命なる者は、天の制なり。己に在る者は、固より為す可きなり。天に在る者は、知る可からざるなり。巫覡の祝請も、亦た其の助けなり、然れども徳に非ざれば行われず。巫史の祈祝なる者は、蓋し鬼神に交わりて細微を救う所以のみ。大命に至りては、之を如何ともする末し、譬えば民人の吏に請謁するが如し、以て微過を解く可きも、正罪を脱する能わず。設し人此に有りて、昼夜君父の教えを慢侮し、先王の禁を干犯し、己が心に克ちて、過ちを改め善を思わずして、苟くも驟かに請謁を発し、以て解免を求めば、必ず幾からず。己を修め、小心畏慎して、上を犯すの必令無きに若かず。故に孔子は子路を聴かずして、云う、「丘の禱ること久し」と。『孝経』に云う、「夫れ然り、故に生けるときは則ち親之を安んじ、祭るときは則ち鬼之を享く」と。此に由りて之を観れば、徳義違う無ければ、神乃ち享く。鬼神享を受くれば、福祚乃ち隆んなり。故に詩に云う、「福を降すこと禳禳たり、福を降すこと簡簡たり、威儀板板たり、既に酔い既に飽く、福禄来り反る」と。此れ人の徳義茂美にして、神歆享酔飽し、乃ち反りて之に報ずるに福を以てするを言うなり。
現代語訳
およそ人の吉凶は、行いを主とし、命を決め手とします。行いとは自分自身の資質であり、命とは天が定めるものです。自分にかかっていることは、もとより自分でなしうることですが、天にかかっていることは知ることができません。巫覡の祈祷や願いも助けにはなりますが、徳がなければ効き目はありません。巫史の祈りは、鬼神と交わって細かなことを救うためのものにすぎません。大きな命運となると、どうすることもできず、たとえば民が役人に頼み込むのと同じで、小さな過ちは許してもらえても、正式な罪は免れられません。ここに一人の人がいて、昼も夜も君や父の教えを侮り、先王の禁を犯し、自分の心に打ち克って過ちを改め善を思うこともせず、いきなり頼み込んで罪を免れようとしても、まず見込みはありません。それよりも自分を修め、慎み深く畏れ、上の者に逆らうことのないようにするのが一番です。だから孔子は子路の祈りの申し出を聞き入れず、「私が祈ってきたのはもう長いことだ」と言いました。『孝経』には「そうであれば、生きている間は親が安らかであり、祭れば鬼神がそれを受けてくださる」とあります。これらから見れば、徳義に背かなければ神は供えを受け、鬼神が供えを受ければ福が盛んになります。ですから詩にも、「福を降すことは豊かで、福を降すことは大きく、威儀は整い、すでに酔いすでに飽き、福禄は返ってくる」とあります。これは人の徳義が盛んに美しければ神が供えを喜び酔い飽きて、その返礼として福を与えるということを言っているのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之五人の吉凶禍福寿夭貧富は、皆天命の素より定むる所にして、人各定分有り。故に短き者は之を長くすべからず。少なき者は之を多くすべからず。且つ天道は善に福し淫に禍す。則ち善なる者は福報有り、不善なる者は禍報有り。是れ必然の理なり。然れども善を為す者も或いは禍有り、不善を為す者も或いは福有り。是れ亦受くる所の厚薄に因りて定分有るなり。夫れ禍福貧富は、皆天の命ずる所にして、定分有ること此くの如し。鬼神焉んぞ諂祈する者に私して、其の常理を変じ、之に福禄を与へ、之に災禍を赦さんや。蓋し鬼神は、自ら是れ聡明正直にして、非礼を享けず。人間の貪官の賄を納れ、容悦して私を行ふ者の比に非ず。胡ぞ非礼の禱請を以て僥倖と為して、福を得禍を免るるの理有らんや。此の理甚だ昭晰なり。明者は固より言を待たずして知るべし。愚者と雖も亦微しく省悟すべきのみ。苟も禍に遭ひて禱請する者、能く己を責め悪を遏むれば、則ち禍を免るるの理有り。天を畏れ善を作せば、則ち福を獲るの理有り。孔子曰く、罪を天に獲れば、禱る所無し、と。又曰く、丘の禱ること久し、と。然らば則ち理に違ひ天に逆ふ者は、正神に禱ると雖も、亦福を得るの理無し。况や淫祠に禱るをや。何の福か之れ有らん。古人曰く、祭るべからざる所にして之を祭る、之を淫祠と謂ふ。淫祠に福無し、と。此の言豈に信ぜざるべけんや。
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『潜夫論』正列旧時、京師は動功を防がず、禁を造りて以来、吉祥応瑞、子孫昌熾なること、前に過ぐる能わず。且つ夫れ君を以て臣を畏れ、上を以て下を需むれば、則ち必ず弱きを示して陵がれを取らん、殆ど福を致すの招きに非ざるなり。嘗て上記を観るに、人君の身修まり正しく賞罰明らかなる者は、国治まりて民安し。民安楽なれば、天悦喜して曆数を増す。故に『書』に曰く、「王は小民を以て、天の永命を受く」と。孔子曰く、「天の助くる所の者は、順なり。人の助くる所の者は、信なり」と。信を履みて順を思い、又以て賢を尚ぶ、是を以て天より之を祐け、吉にして利しからざる無し、此れ最も凶災を却けて福善を致すの本なり。
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『潜夫論』卜列俗工又曰く、商家の宅は、宜しく西に門を出すべし、と。此れ複た虚なり。五行は当に出づるに其の勝に乗じ、入りて其の隩に居れば、乃ち安吉なり。商家は東に向かいて入れば、東入は反って以て金は木を伐つと為し、則ち家中の精神日びに戦闘するなり。五行皆な然り。又曰く、宅に宮商の第、直符の歳有り、と。既に然らば、其の上に放いて門数を増損すれば、即ち其の音を変えて其の符を過ぐべけんや。今一宅なるも、同姓相い伐つに、或いは吉、或いは凶。一宮なるも、同姓相い伐つに、或いは遷り、或いは免る。一宮なるも、成・康居る日以て興り、幽・厲居る日以て衰う。此に由りて之を観れば、吉凶興衰は宅に在らざること明らかなり。諸もろの神祇、太歳・豊隆・鉤陳・太陰将軍の属に及びては、此れ乃ち天吏にして、細民の当に事うべき所に非ず。天に此の神有るは、皆な陰陽を奉成して物を利する所以なり、人の治に牧守令長有るが若し。之に向かいて何ぞ怒り、之に背きて何ぞ怨まん。君民の道近きは、宜しく相い責むべからず。況んや神致って貴く、人と礼を異にす、豈に望むべけんや。且つ人をして鬼を避けしめんと欲すれば、是れ即ち道路は行くべからず、室廬は復た居らざるなり。此れ賢人君子の、心を秉ること方直、精神堅固なる者を謂うなり。
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『潜夫論』卜列天地開闢して神民有り、民神業を異にして精気通ず。行に招召有り、命に遭随有り、吉凶の期、天は諶じ難し。聖賢察すと雖も、自ら専らにせず、故に卜筮を立てて、以て神霊に質す。孔子称す、「蓍の徳は円にして神、卦の徳は方にして以て智」と。又曰く、「君子将に行く有らんとするや、問うて已に言う、其の命を受けて向う」と。是を以て禹の皋陶を得、文王の呂尚を取るや、皆兆は其の象を告げ、卜は其の思いを厎し、以て其の吉を成す。夫れ君子は善を聞けば則ち勧楽して進み、悪を聞けば則ち循省して尤を改む、故に安静にして福多し。小人は善を聞けば即ち懾懼して妄りに為す、故に狂躁にして禍多し。是の故に凡そ卜筮とは、蓋し吉凶の情を問う所、興衰の期を言い、人をして身を修め行いを慎み以て福を迎えしむるなり。
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『潜夫論』正列晏平仲に言有り、祝は益有り、詛も亦た損有り、と。季梁の隨侯を諫め、宮之奇の虞公に説くは、天人の道に明らかに、神民の分に達すと謂う可し。夫れ妖は徳に勝たず、邪は正を伐たざるは、天の経なり。時に違う有りと雖も、然れども智者は其の正道を守りて、淫鬼に近づかず。所謂淫鬼なる者は、邪を閑し物を精にし、真の神霊の守司する有るに非ざるなり。鬼の此れ有るは、猶お人の奸言し平を売りて以て幹求する者有るがごとし。若し或いは之を誘えば、則ち遠来して止まず、終には必ず咎有り。鬼神も亦た然り。故に申が曰く、「人の忌む所は、其の気炎にして以て之を取る。人に釁無ければ、妖は自ら作らず」と。是れ人は多く忌む可からず、多く忌めば妄りに畏れ、実に妖祥を致すを謂う。且つ人に爵位有り、鬼神に尊卑有り。天地山川、社稷五祀、百辟卿士、民に功有る者は、天子諸侯の命じて祀る所なり。若し乃ち巫覡の独語と謂い、小人の望み畏るる所、土公、飛屍、咎魅、北君、銜聚、当路、直符の七神、及び民間の繕治、微蔑の小禁は、本より天王の当に憚る所に非ざるなり。
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『潜夫論』慎微汝をして信厚ならしめば、何ぞ治めて之に益多くせざる、甚だ庶衆なるに焉んぞ五常を遵履し、性命を順養し、以て南山の寿、松柏の茂を保たざらんや。徳は嵒として毛の如し、仁を為すは杉海なるか。与に並蜂する莫く、自ら辛螫を求む。禍福は門無し、唯だ人の召く所なり。天の助くる所の者は順なり、人の尚ぶ所の者は信なり。信を履みて順を思い、又た以て賢を尚ぶ、是を以て吉にして利ならざる無し。亮なるかな斯の言、思う無かるべけんや。
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