潜夫論 / 卜列
俗工又曰:商家之宅,宜西出門。此複虛矣。五行當出乘其勝,入居其隩,乃安吉。商家向東入,東入反以為金伐木,則家中精神日戰鬥也。五行皆然。又曰:宅有宮商之第,直符之歲。既然者,放其上增損門數,即可以變其音而過其符邪。今一宅也,同姓相伐,或吉或凶;一宮也,同姓相伐,或遷或免。一宮也,成康居之日以興,幽厲居之日以衰。由此觀之,吉凶興衰,不在宅明矣。及諸神祇,太歲、豐隆、鉤陳、太陰將軍之屬,此乃天吏,非細民所當事也。天之有此神也,皆所以奉成陰陽而利物也,若人治之有牧守令長矣。向之何怒,背之何怨?君民道近,不宜相責。況神致貴,與人異禮,豈可望乎?且欲使人而避鬼,是即道路不可行,而室廬不複居也。此謂賢人君子,秉心方直,精神堅固者也。
新字:俗工又曰:商家之宅,宜西出門。此複虚矣。五行当出乗其勝,入居其隩,乃安吉。商家向東入,東入反以為金伐木,則家中精神日戦鬥也。五行皆然。又曰:宅有宮商之第,直符之歳。既然者,放其上增損門数,即可以変其音而過其符邪。今一宅也,同姓相伐,或吉或凶;一宮也,同姓相伐,或遷或免。一宮也,成康居之日以興,幽厲居之日以衰。由此観之,吉凶興衰,不在宅明矣。及諸神祇,太歳、豊隆、鉤陳、太陰将軍之属,此乃天吏,非細民所当事也。天之有此神也,皆所以奉成陰陽而利物也,若人治之有牧守令長矣。向之何怒,背之何怨?君民道近,不宜相責。況神致貴,与人異礼,豈可望乎?且欲使人而避鬼,是即道路不可行,而室廬不複居也。此謂賢人君子,秉心方直,精神堅固者也。
書き下し
俗工又曰く、商家の宅は、宜しく西に門を出すべし、と。此れ複た虚なり。五行は当に出づるに其の勝に乗じ、入りて其の隩に居れば、乃ち安吉なり。商家は東に向かいて入れば、東入は反って以て金は木を伐つと為し、則ち家中の精神日びに戦闘するなり。五行皆な然り。又曰く、宅に宮商の第、直符の歳有り、と。既に然らば、其の上に放いて門数を増損すれば、即ち其の音を変えて其の符を過ぐべけんや。今一宅なるも、同姓相い伐つに、或いは吉、或いは凶。一宮なるも、同姓相い伐つに、或いは遷り、或いは免る。一宮なるも、成・康居る日以て興り、幽・厲居る日以て衰う。此に由りて之を観れば、吉凶興衰は宅に在らざること明らかなり。諸もろの神祇、太歳・豊隆・鉤陳・太陰将軍の属に及びては、此れ乃ち天吏にして、細民の当に事うべき所に非ず。天に此の神有るは、皆な陰陽を奉成して物を利する所以なり、人の治に牧守令長有るが若し。之に向かいて何ぞ怒り、之に背きて何ぞ怨まん。君民の道近きは、宜しく相い責むべからず。況んや神致って貴く、人と礼を異にす、豈に望むべけんや。且つ人をして鬼を避けしめんと欲すれば、是れ即ち道路は行くべからず、室廬は復た居らざるなり。此れ賢人君子の、心を秉ること方直、精神堅固なる者を謂うなり。
現代語訳
俗の術者はまた言います。「商の音の家の宅は、西に門を出すのがよい」と。これもまた虚妄です。五行は、出るときにはその勝つ方位に乗り、入ってはその奥に居れば安らかで吉であるといいます。商の家が東に向かって入ると、東から入るのは金が木を伐つことになり、家の中の精神が日々戦うことになる、と。五行はみなそうだと言います。また「宅には宮・商の等級があり、直符の歳がある」とも言います。もしそうなら、その上に門の数を増減すれば、音を変えて符を通り過ぎることができるのでしょうか。いま同じ一つの宅でも、同姓が相い伐つ場合に、吉となる場合も凶となる場合もあります。同じ一つの宮でも、同姓が相い伐つ場合に、ある者は移り、ある者は免れます。同じ一つの宮でも、成王・康王が居た日には興り、幽王・厲王が居た日には衰えました。これらから見れば、吉凶興衰は宅にないことが明らかです。さまざまな神々、太歳・豊隆・鉤陳・太陰将軍の類にいたっては、これらは天の官吏であり、庶民が仕えるべきものではありません。天にこれらの神がいるのは、陰陽を助け成して物を利するためで、人の統治に牧守令長がいるのと同じです。向かって何を怒り、背いて何を怨むでしょうか。君と民の関係が近いものですら、互いに責めあってはならないのです。まして神は極めて尊く、人とは礼が異なるのですから、望んでよいはずがありません。また、人に鬼を避けさせようとすれば、道路は通れず、住まいにも居られなくなります。これは、賢人君子の、心を持すること方正で、精神が堅固な者についての話です。
解説
この章句が説くこと
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『潜夫論』卜列天地開闢して神民有り、民神業を異にして精気通ず。行に招召有り、命に遭随有り、吉凶の期、天は諶じ難し。聖賢察すと雖も、自ら専らにせず、故に卜筮を立てて、以て神霊に質す。孔子称す、「蓍の徳は円にして神、卦の徳は方にして以て智」と。又曰く、「君子将に行く有らんとするや、問うて已に言う、其の命を受けて向う」と。是を以て禹の皋陶を得、文王の呂尚を取るや、皆兆は其の象を告げ、卜は其の思いを厎し、以て其の吉を成す。夫れ君子は善を聞けば則ち勧楽して進み、悪を聞けば則ち循省して尤を改む、故に安静にして福多し。小人は善を聞けば即ち懾懼して妄りに為す、故に狂躁にして禍多し。是の故に凡そ卜筮とは、蓋し吉凶の情を問う所、興衰の期を言い、人をして身を修め行いを慎み以て福を迎えしむるなり。
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『潜夫論』正列凡そ人の吉凶は、行を以て主と為し、命を以て決と為す。行なる者は、己の質なり。命なる者は、天の制なり。己に在る者は、固より為す可きなり。天に在る者は、知る可からざるなり。巫覡の祝請も、亦た其の助けなり、然れども徳に非ざれば行われず。巫史の祈祝なる者は、蓋し鬼神に交わりて細微を救う所以のみ。大命に至りては、之を如何ともする末し、譬えば民人の吏に請謁するが如し、以て微過を解く可きも、正罪を脱する能わず。設し人此に有りて、昼夜君父の教えを慢侮し、先王の禁を干犯し、己が心に克ちて、過ちを改め善を思わずして、苟くも驟かに請謁を発し、以て解免を求めば、必ず幾からず。己を修め、小心畏慎して、上を犯すの必令無きに若かず。故に孔子は子路を聴かずして、云う、「丘の禱ること久し」と。『孝経』に云う、「夫れ然り、故に生けるときは則ち親之を安んじ、祭るときは則ち鬼之を享く」と。此に由りて之を観れば、徳義違う無ければ、神乃ち享く。鬼神享を受くれば、福祚乃ち隆んなり。故に詩に云う、「福を降すこと禳禳たり、福を降すこと簡簡たり、威儀板板たり、既に酔い既に飽く、福禄来り反る」と。此れ人の徳義茂美にして、神歆享酔飽し、乃ち反りて之に報ずるに福を以てするを言うなり。
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『潜夫論』卜列聖人は卜筮を甚だ重んず、然れども疑わざるの事は、亦た問わず。祭祀を甚だ敬す、礼に非ざるの祈りは、亦た為さず。故に曰く、聖人は卜筮を煩わさず、鬼神を敬して之を遠ざく、と。夫れ鬼神と人とは気を殊にし務めを異にす、事故有るに非ざれば、何ぞ我に奈せん。故に孔子は楚昭の河を祀らざるを善とし、而して季氏の泰山に旅するを悪む。今俗人は卜筮に策し、而して其の鬼に非ざるを祭る、豈に惑わずや。亦た妄りに姓を五音に伝え、五宅の符第を設くる有り、其の誣いたること甚だし。古は陰陽有り、然る後に五行有り。五帝は右に拠りて行気し、以て人民を生ず。世を載ること遠くして、乃ち姓名敬民有り。名字とは、蓋し眾猥を別ち、此の人を顕す所以のみ、五音を絶ち剛柔を定むるに非ざるなり。今俗人は本祖を推紀する能わず、而して反って声音言語を以て五行を定めんと欲す、誤りは此れより甚だしきは莫し。夫れ魚は水に処りて生じ、鳥は巣に拠りて卵む、即ち其の本祖を推さず音を諧すと為して可ならん。即し鳥を呼びて魚と為さば、之を水に内るべけんや。魚を呼びて鳥と為さば、之を木に棲ましむべけんや。此れ然らざるの事なり。駒に命じて犢と曰うも、終に馬と為らず。是の故に凡そ姓の音有るや、必ず其の本生祖の土とする所に随うなり。太皞は木の精にして、歳を承けて王たり、夫れ其の子孫は鹹な当に角と為るべし。
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『潜夫論』正列晏平仲に言有り、祝は益有り、詛も亦た損有り、と。季梁の隨侯を諫め、宮之奇の虞公に説くは、天人の道に明らかに、神民の分に達すと謂う可し。夫れ妖は徳に勝たず、邪は正を伐たざるは、天の経なり。時に違う有りと雖も、然れども智者は其の正道を守りて、淫鬼に近づかず。所謂淫鬼なる者は、邪を閑し物を精にし、真の神霊の守司する有るに非ざるなり。鬼の此れ有るは、猶お人の奸言し平を売りて以て幹求する者有るがごとし。若し或いは之を誘えば、則ち遠来して止まず、終には必ず咎有り。鬼神も亦た然り。故に申が曰く、「人の忌む所は、其の気炎にして以て之を取る。人に釁無ければ、妖は自ら作らず」と。是れ人は多く忌む可からず、多く忌めば妄りに畏れ、実に妖祥を致すを謂う。且つ人に爵位有り、鬼神に尊卑有り。天地山川、社稷五祀、百辟卿士、民に功有る者は、天子諸侯の命じて祀る所なり。若し乃ち巫覡の独語と謂い、小人の望み畏るる所、土公、飛屍、咎魅、北君、銜聚、当路、直符の七神、及び民間の繕治、微蔑の小禁は、本より天王の当に憚る所に非ざるなり。
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『潜夫論』正列旧時、京師は動功を防がず、禁を造りて以来、吉祥応瑞、子孫昌熾なること、前に過ぐる能わず。且つ夫れ君を以て臣を畏れ、上を以て下を需むれば、則ち必ず弱きを示して陵がれを取らん、殆ど福を致すの招きに非ざるなり。嘗て上記を観るに、人君の身修まり正しく賞罰明らかなる者は、国治まりて民安し。民安楽なれば、天悦喜して曆数を増す。故に『書』に曰く、「王は小民を以て、天の永命を受く」と。孔子曰く、「天の助くる所の者は、順なり。人の助くる所の者は、信なり」と。信を履みて順を思い、又以て賢を尚ぶ、是を以て天より之を祐け、吉にして利しからざる無し、此れ最も凶災を却けて福善を致すの本なり。
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説苑・反質鬼神を信ずる者は謀を失い、日を信ずる者は時を失う、何を以て其の然るを知るや?夫れ賢聖周く知り、能く時日せずして事利す。法令を敬い、功勞を貴べば、卜筮せずして身吉なり。仁義を謹み、道理に順えば、禱祠せずして福あり。故に卜數して日を擇び、齋戒を潔くし、犧牲を肥やし、珪璧を飾り、祠祀を精しくすとも、終に悖逆の禍を除く能わず、神明知る有りて之に事うるを以て、乃ち道に背き妄行せんと欲して祠祀を以て福を求めば、神明必ず之に違わん。天子は天地・五嶽・四瀆を祭り、諸侯は社稷を祭り、大夫は五祀を祭り、士は門戶を祭り、庶人は其の先祖を祭る。聖王は天心を承けて、禮分を制するなり。凡そ古の日を卜する者は、將に以て道を輔け疑を稽え、先んずる所有りて敢えて自ら專らにせざるを示さんとするなり、顛倒の惡を以て安全を幸わんと欲するに非ざるなり。孔子曰く、「其の鬼に非ずして之を祭るは、諂なり。」と。是を以て泰山終に李氏の旅を享けず、易に東鄰の牛を殺すは、西鄰の禴祭に如かずと稱するは、蓋し禮を重んじて牲を貴ばず、實を敬いて華を貴ばざるなり。誠に其の德有りて之を推せば、則ち安くに往くとも可ならざる無し。是を以て聖人は人の文を見て、必ず其の質を考うるなり。
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