潜夫論 / 卜列
至如世俗小人,醜妾婢婦,淺陋愚戇,漸染既成,又數揚精破膽。今不順精誠所向,而強之以其所畏,直亦增病爾。何以明其然也?夫人之所以為人者,非以此八尺之身也,乃以其有精神也。人有恐怖死者,非病之所加也,非人功之所辜也。然而至於遂不損者,精誠去之也。蓋奔柙猛虎而不惶,嬰人畏螻蟻而發聞。今通士或欲強羸病之愚人,必之其所不能,吾又恐其未盡善也。移風易俗之本,乃在開其心而正其精。今民生不見正道,而長於邪淫誑惑之中,其信之也,難卒解也,唯王者能變之。
新字:至如世俗小人,醜妾婢婦,浅陋愚戇,漸染既成,又数揚精破胆。今不順精誠所向,而強之以其所畏,直亦增病爾。何以明其然也?夫人之所以為人者,非以此八尺之身也,乃以其有精神也。人有恐怖死者,非病之所加也,非人功之所辜也。然而至於遂不損者,精誠去之也。蓋奔柙猛虎而不惶,嬰人畏螻蟻而発聞。今通士或欲強羸病之愚人,必之其所不能,吾又恐其未尽善也。移風易俗之本,乃在開其心而正其精。今民生不見正道,而長於邪淫誑惑之中,其信之也,難卒解也,唯王者能変之。
書き下し
世俗の小人、醜妾婢婦の、浅陋愚戇なる者に至っては、漸染既に成り、又数しば精を揚げ胆を破る。今精誠の向う所に順わず、而して之に強うるに其の畏るる所を以てすれば、直に亦た病を増すのみ。何を以て其の然るを明らかにせん。夫れ人の人たる所以の者は、此の八尺の身を以てするに非ず、乃ち其の精神有るを以てなり。人に恐怖して死する者有るは、病の加うる所に非ず、人功の辜する所に非ず。然り而して遂に損ぜざるに至る者は、精誠之を去ればなり。蓋し奔柙の猛虎にも惶れず、嬰人は螻蟻を畏れて発聞す。今通士は或いは羸病の愚人に強いて、必ず其の能わざる所に之かしめんと欲す、吾は又其の未だ善を尽くさざるを恐る。風を移し俗を易うるの本は、乃ち其の心を開き其の精を正すに在り。今民生まれて正道を見ず、而して邪淫誑惑の中に長ず、其の之を信ずるや、卒かに解き難きなり、唯だ王者のみ能く之を変うるなり。
現代語訳
世間の小人や、見苦しい妾や下女のように、浅はかで愚かな者たちには、悪い習慣がすでに染み込んでおり、しかもたびたび精神を高ぶらせ胆を砕かれています。いま、その者たちの真心の向かう先に従わず、恐れるものを無理に押しつければ、病をかえって増すだけです。それが確かだとどうしてわかるのか。人が人であるゆえんは、この八尺の身体にあるのではなく、精神があるからです。人には恐怖のあまり死ぬ者がいますが、それは病が加わったためでも、人の力が罪を負わせたためでもありません。それなのに、そこまでに至る者がいるのは、精誠(真心の力)が去ってしまうからです。檻から逃げた猛虎にも驚かないのに、幼い者は蟻を恐れて声を上げることもあります。いま見識のある者が、衰弱した愚かな人に、無理をしてできないことをさせようとするのは、私はまだ善を尽くしていないと危ぶみます。風俗を改め習俗を変える本は、その心を開き、精神を正すところにあります。いま民は生まれても正道を見ず、邪淫と誑惑の中で育ち、それを信じる心は、急には解きがたいものです。ただ王者だけが、それを変えられるのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『潜夫論』本訓此の時に当たり、正気の加わる所は、唯だ人に於いてのみに非ず、百穀・草木、禽獣・魚鱉、皆な口に其の気を養い、声は耳に入りて、以て心に感ず。男女は聴きて以て精神を施し、和を資りて以て衃を兆す。民の胎は、嘉きを含みて以て体を成し、其の生まるるに及びては、和以て性を養い、美は其の中に在りて、四肢に暢び、血脈に実ち、心性・誌耳・意目・精欲を以て、貞廉潔懐して行いを履まざる無し。此れ五帝三王の能く法像を画きて民違わず、己の徳を正して世自ずから化する所以なり。是の故に法令・刑賞なる者は、乃ち民事を治めて整理を致す所以のみ。未だ以て大化を興して太平に升るに足らず。夫れ三正の絶跡を曆み、帝皇の極功に臻らんと欲する者は、必ず先ず元に原づき本に本づき、道を興して和を致す。淳粋の気を以て、敦烝の民を生み、徳義の表を明らかにして、信厚の心を作り、然る後に化は美しくすべく、功は成すべきなり。
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『潜夫論』卜列天地開闢して神民有り、民神業を異にして精気通ず。行に招召有り、命に遭随有り、吉凶の期、天は諶じ難し。聖賢察すと雖も、自ら専らにせず、故に卜筮を立てて、以て神霊に質す。孔子称す、「蓍の徳は円にして神、卦の徳は方にして以て智」と。又曰く、「君子将に行く有らんとするや、問うて已に言う、其の命を受けて向う」と。是を以て禹の皋陶を得、文王の呂尚を取るや、皆兆は其の象を告げ、卜は其の思いを厎し、以て其の吉を成す。夫れ君子は善を聞けば則ち勧楽して進み、悪を聞けば則ち循省して尤を改む、故に安静にして福多し。小人は善を聞けば即ち懾懼して妄りに為す、故に狂躁にして禍多し。是の故に凡そ卜筮とは、蓋し吉凶の情を問う所、興衰の期を言い、人をして身を修め行いを慎み以て福を迎えしむるなり。
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『潜夫論』卜列俗工又曰く、商家の宅は、宜しく西に門を出すべし、と。此れ複た虚なり。五行は当に出づるに其の勝に乗じ、入りて其の隩に居れば、乃ち安吉なり。商家は東に向かいて入れば、東入は反って以て金は木を伐つと為し、則ち家中の精神日びに戦闘するなり。五行皆な然り。又曰く、宅に宮商の第、直符の歳有り、と。既に然らば、其の上に放いて門数を増損すれば、即ち其の音を変えて其の符を過ぐべけんや。今一宅なるも、同姓相い伐つに、或いは吉、或いは凶。一宮なるも、同姓相い伐つに、或いは遷り、或いは免る。一宮なるも、成・康居る日以て興り、幽・厲居る日以て衰う。此に由りて之を観れば、吉凶興衰は宅に在らざること明らかなり。諸もろの神祇、太歳・豊隆・鉤陳・太陰将軍の属に及びては、此れ乃ち天吏にして、細民の当に事うべき所に非ず。天に此の神有るは、皆な陰陽を奉成して物を利する所以なり、人の治に牧守令長有るが若し。之に向かいて何ぞ怒り、之に背きて何ぞ怨まん。君民の道近きは、宜しく相い責むべからず。況んや神致って貴く、人と礼を異にす、豈に望むべけんや。且つ人をして鬼を避けしめんと欲すれば、是れ即ち道路は行くべからず、室廬は復た居らざるなり。此れ賢人君子の、心を秉ること方直、精神堅固なる者を謂うなり。
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『潜夫論』正列晏平仲に言有り、祝は益有り、詛も亦た損有り、と。季梁の隨侯を諫め、宮之奇の虞公に説くは、天人の道に明らかに、神民の分に達すと謂う可し。夫れ妖は徳に勝たず、邪は正を伐たざるは、天の経なり。時に違う有りと雖も、然れども智者は其の正道を守りて、淫鬼に近づかず。所謂淫鬼なる者は、邪を閑し物を精にし、真の神霊の守司する有るに非ざるなり。鬼の此れ有るは、猶お人の奸言し平を売りて以て幹求する者有るがごとし。若し或いは之を誘えば、則ち遠来して止まず、終には必ず咎有り。鬼神も亦た然り。故に申が曰く、「人の忌む所は、其の気炎にして以て之を取る。人に釁無ければ、妖は自ら作らず」と。是れ人は多く忌む可からず、多く忌めば妄りに畏れ、実に妖祥を致すを謂う。且つ人に爵位有り、鬼神に尊卑有り。天地山川、社稷五祀、百辟卿士、民に功有る者は、天子諸侯の命じて祀る所なり。若し乃ち巫覡の独語と謂い、小人の望み畏るる所、土公、飛屍、咎魅、北君、銜聚、当路、直符の七神、及び民間の繕治、微蔑の小禁は、本より天王の当に憚る所に非ざるなり。
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『潜夫論』德化人君の治は、道より大なるは莫く、徳より盛んなるは莫く、教えより美なるは莫く、化より神なるは莫し。道とは、之を持する所以なり。徳とは、之を苞む所以なり。教えとは、之を知らしむる所以なり。化とは、之を致す所以なり。民に性有り、情有り、化有り、俗有り。情性とは、心なり、本なり。化俗とは、行いなり、末なり。末は本より生じ、行いは心より起こる。是を以て上君の世を撫するや、其の本を先にして其の末を後にし、其の心を慎みて其の行いを理む。心精苟くも亡ければ、則ち奸匿の作す所、邪意の載する所無し。
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『潜夫論』正列旧時、京師は動功を防がず、禁を造りて以来、吉祥応瑞、子孫昌熾なること、前に過ぐる能わず。且つ夫れ君を以て臣を畏れ、上を以て下を需むれば、則ち必ず弱きを示して陵がれを取らん、殆ど福を致すの招きに非ざるなり。嘗て上記を観るに、人君の身修まり正しく賞罰明らかなる者は、国治まりて民安し。民安楽なれば、天悦喜して曆数を増す。故に『書』に曰く、「王は小民を以て、天の永命を受く」と。孔子曰く、「天の助くる所の者は、順なり。人の助くる所の者は、信なり」と。信を履みて順を思い、又以て賢を尚ぶ、是を以て天より之を祐け、吉にして利しからざる無し、此れ最も凶災を却けて福善を致すの本なり。
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